【おそ松さん】紫薔薇を君に【一松】

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「それじゃあ、失礼しますね」

「お疲れー」

同僚達に帰りの挨拶をして、会社を出る。

「さっむい…」

暖房の効いた社内と外の温度差に身体を震わせて、一言呟いた。

早く帰ろう、と急ぎ足になるあまり。会社前にいた彼をそのまま素通りしそうになった。

くるっと方向転換して、わたしのプレゼントしたマフラーでぐるぐる巻きの彼の元に急いで戻る。

「…一松さん」

「お疲れ、社畜」

一松さんがかなり低い位置で、よっと小さく手を上げた。

「失礼な…って来るなら言って下さいよ、一松さん」

「……あ、やっぱこんなゴミと一緒にいる所を他の奴に見られたくないとか？」

相変わらずな自虐をする彼のマフラーを苦笑いしながら巻き直す。

「もう…そうじゃないです、気付かないで帰りそうになったからですよ」

一松さんが嫌がらずにそれをさせてくれることに気が付き、不思議に思い彼を見上げる。

パチッと目が合った途端、自分の頬が火照るのがわかった。ぼーっと固まっていると、一松さんがわたしから目を逸らした。

くるくると手早く巻き直し、手を離す。

「そ、その…連絡くれたら、わたし、いつでも…いやっ、えっと…」

尻すぼみになっていく言葉。何が言いたいのかが分からない。

…一松さんが待ってくれていて、嬉しかった。

「…きょ、今日のご用事は」

上手く行かない、わたし。

出過ぎた行動をした癖に、言葉には出せない。

「……いや…突然来て、ごめん」

一松さんがわたしに申し訳なさそうに、声を下げた。

「えっ…」

「…YOUに、見せたいのあったから…いやでもどうでもいい事だし……帰る」

よく分からずに彼を注視していると、気まずそうに続けて、わたしに背を向けた。

わたしの曖昧な態度が、繊細な彼を悪い方に誤解させたらしい。

「いえ！違うんですよ一松さん！」

思わず彼の手を掴んだ。

「…さ、サプライズで一松さんがいたので…びっくりした、って言うか」

「なんだよサプライズって…嫌なら嫌って言っていいんだけど…」

またやらかしてしまった…！
一松さんが眉を顰めたかと思うと、わたしを穴が開く程にじっと見つめる。

目が合っただけで赤面、のわたしが平静を保てるはずもない。

「嬉しいサプライズです！嬉しいサプライズ！わあ一松さんが待っててくれたんだーって！」

しどろもどろになるわたしを、彼が見つめる。

「一松さんがいてくれたんだ！嬉し」

馬鹿なテンションで本音を言おうとすると、彼がわたしの口を抑えた。

「……そ…そこまで言えとは誰も言ってないから」

目を瞬きさせていると、一松さんのマスクから僅かに覗く、目元付近の肌まで赤くなっている。

「で、でふね」

モゴモゴと口を動かして頷くと、彼がわたしの口から手を離し、その手をポケットに突っ込む。

「…一松さん」

その動きがやたらと気になって、歩き始めた一松さんの背に声を掛けてしまった。

「…何、まだ何かあんの」

そして、振り返ってくれた彼に頭を下げた。

「……寒かったですよね、ごめんなさい」

一松さんは驚いた様に目を大きくして、眉を下げるわたしの手を掴んだ。

じわっと彼の手から温かさが伝わる。

「…さっむくないから」

これ以上謝るな、と暗に言われている様だった。

わたしは首を小さく縦に振る。

「……繋いでても、いいですか」

一松さんが頷いたのを見て、わたしは彼の手をきゅっと握り直した。

「一松さん…こ、この子達…！」

そのまま彼に連れられて来た路地裏には。

小さな子猫が、母猫の元で気持ち良さそうに鳴いていた。

わたしを見て、母猫の方の猫ちゃんがゴロゴロと喉を鳴らしてわたしの元に近づく。

「久しぶりだねえ、お母さんになったんだ」

ふにゃふにゃと笑いながら、お母さんの猫ちゃんを撫でていると。

それと比べると小さめで弱々しい声で鳴きながら、子猫ちゃんがわたしにそろそろと擦り寄ろうとした。

その子から逃げようとして、思わず飛び退くと。案の定わたしはバランスを崩してその場に転げた。

「わあ！」

どてっと転がったわたしを見て、一松さんが吹き出した。

「…何で逃げてんの……」

尚も笑いが収まらない彼を軽く睨みながら立ち上がり、スーツに付いた砂埃を払う。

「えっとですね、子猫ちゃ」

「どうでもいいけど、クソ松じゃないんだから流石に子猫ちゃんはやめて」

一松さんに真顔で言われて、恥ずかしさが込み上げた。

…確かに子猫ちゃんは無いね…。
別の意味に聞こえる。

「……子供の猫ちゃんに触ると、わたしの…人間の匂いが付いちゃうじゃないですか。そりゃあすっごく可愛いんですよ！でも…」

一松さんが黙っているけれど、わたしは続けた。

「勿論他の猫ちゃんでもそうなんですけどね。いい加減に触ったりしたら、この子がお母さんに嫌われちゃうかもですから」

「…そのクソ真面目なのどっから来たの」

彼は唐突にその静寂を破り、わたしを壁際に押し寄せた。

薄暗い路地裏には、わたし達二人だけしかいない。

猫ちゃんがその瞬間に、一声鳴いた。

その鳴き声が、わたしには戸惑った様にも聞こえたのは。

わたしが戸惑っているからなのだろうか。

「…ほいほい着いて来られたら勘違いするっ……」

それとも、彼が戸惑っているからなのだろうか。

一松さんの声には、焦りとか、苛立ちにも似た何かとか。

わたしでは分からない感情が、その中に隠されている様だった。

「…おれが猫好きだって知ってた？」

こくんと頷くと、彼がマスクをずらした。

「猫好きな奴が好きだってことは？」

それにも頷くと彼が薄く笑い、口角を上げた。覗いた白い八重歯が、薄暗に眩しく目立ち、婀娜っぽかった。

「………YOUが好きだってことは…」

わたしがその問いかけにも似た言葉に口を噤んでいると、一松さんはわたしの片手首を掴んで壁に付けた。

泣きそうな声だった。

「キスだって、無理矢理なら犯罪行為らしいけど」

一松さんがわたしに顔を寄せる。

その行為と言葉は、わたしを本気で傷つけようなんて、欠片も思っていないことは火を見るより明らかだった。

確かめたいんだと、思った。

わたしには、一松さんの気持ちが痛い程に分かった。

わざと低く振る舞う事で、自分に幻滅しないか確かめる。傷ついても、自分が悪いんだ、と思うことで相手を悪く言わない様にする。

そんなことをする自分を、嫌な奴だと忌み嫌う。最低な行いだと責める。

やめたくても、やめられない。

抜け出したくても、助けが来ない。

人が。
自分以外の人が。
好きな人が。

…わたしが逃げないか、一松さんは不安で仕方ないんだと思った。

彼の手が、声に合わせる様にして震えはじめた。

「…何調べてるんですか、もう…」

一松さんの身体に、頭から入る様にしてぽふっと全身を委ねる。そして、驚いた様な顔の彼の頭を空いた片腕で撫でた。

唖然とする一松さんの黒髪をずっと撫で続けていると、彼の目が熱っぽくなり、頬が赤く色づいた。

一松さんはわたしがそれを見つめている事に気が付いて恥ずかしくなったのか、単純に満足したのか。もういい、と荒く小さくわたしに言って。兎に角、わたしの掴まれていた手首は彼の手から解放された。

一松さんがゆっくりと動いて、大きな室外機の上に座る。

そして彼の膝の上に、子猫ちゃ…子供の猫ちゃんが飛び乗った。

「…ここら辺の猫はおれに慣れてるから、今更人の匂いでどうとかこうとか無いよ…」

ポカンと口を開くわたしを他所に、一松さんが猫ちゃんを優しく撫でる。

その可愛らしい喉鳴りに、はっきりと証明された。

「そ、その様ですね…すみません、知ったかして…」

気まずくて半笑いをしているわたしを、一松さんがじっと見つめる。

「……YOU、よく照れてる」

一瞬、彼の言葉が飲み込めず、上手く理解出来なかった。

だけど、分かった途端に、動揺した時に出る変な叫び声が漏れて、顔が熱くなる。しかもその上、ふらっと足が乱れて、変な足踏みをその場で刻んでしまった。

一松さんの笑い声が聞こえて、恥ずかしさが加速していく。

分かりやすい自覚があるから、益々辛い。

赤面症や吃りがよく出る所も、コンプレックスなんだけど。

一松さんに指摘された時、嫌な気持ちにならなかったのは。

「……誰にでも照れんの」

彼から、嫉妬心が感じ取れた。そんな気がした。

……一松さんが、好きだからだ。

弱い部分をさらけ出したい、という願望はわたしの歪な恋の始まり。

「…森羅万象に、ですよ」

もしかしたら、二人の愛の形。

彼の隣に立って、顔の高さがやっと同等。

「……そ」

一松さんが残念な時は、無意識なんだろうけど、小さな舌打ちが漏れる。

最初はそれが少し怖かったけど、今は分かりやすくて何だか可愛い。

わたしは照れ性で、自信が無くて自身が無くて。弱い部分を抉られるのが嫌な怖がりで。

「もう、人は愚か動物さんにも照れ」

だけど、貴方となら。

「YOU」

はあ、とため息を吐いて喋っていると、一松さんがわたしの肩をつついた。

「はい？」

「人には敬称無しなんだ」

自分の言葉を反芻して、これまでのわたしを回想すると。

猫ちゃんだの、動物さんだのは当たり前に言っていたけれども。

人だの、人間だの。
…確かに呼び方が簡素な気がしなくもない。

「……ふ、深い意味は無いですよ！？」

文頭の文字が連続する、と言うよくある焦り方を彼に指摘されたのにも関わらず、思わず出てしまった。

一松さんは、そんなわたしをお見通しの様で。

「ヒヒッ…人嫌いだよね、あんた」

嬉しそうに笑って、彼の膝上にいる猫ちゃんが幸せそうに鳴いた。

「…人嫌い、ではないですよ」

一松さんが、猫ちゃんを撫でる手を止めた。

「だって、わたし…一松さんの事が、好きですもん」

顔を敢えて一松さんの方向に向けていないけど、彼がわたしを食い入る様に見ている事が分かった。

「度を超えた照れ屋なのかもしれないですけど…わたしは、やっぱり好きな人の前で照れないことは難しいです」

自分の嫌な部分を克服する？乗り越える？

「…それとも、一松さんは」

人生、そんなに簡単じゃないのかもしれない。

「わたしが、一松さんに照れない方がいいですか」

共存する、という第三の答えがあるのも貴方と逢えたから気づけた。

彼が間をおいて、口を開いた。

「…赤面する所…、何だかんだ言って」

言葉途中で彼の方を振り向けば、今までに見たことが無いほど、赤かった。

「……そういう所がす…可愛い、から」

治さなくていい、と一松さんが若干ぶっきらぼうに。でもしっかりとそう言うと、猫ちゃんは彼の膝上からすっと飛び降りた。

トコトコと母猫の元まで歩いて行く。どこかに行くのを二人で見送る。

そうすればまた、いつもの静寂が路地裏に訪れる。

「……何か今、YOUにキスしたいんだけど」

そんな中、ボソッと呟いた彼を見つめる。

「順序、ってのがあるじゃないですか」

一松さんが室外機からぱっと飛び降りる。

「…これ、YOUに」

その素早い動きに笑っていると、一松さんが4輪の紫薔薇をわたしに突き出した。

「……要らなかったら捨てていいから」

わたしはそれを咎めなかった。

「とっても綺麗だと思いますよ。…受け取っても、いいですか」

一松さんが顔を伏せる様にして頷いた。

きっと、貴方の顔は真っ赤なんだろうな。

だって、覗く耳元が赤くて。

わたしの赤面症を可愛い、と言った一松さんの心理が分かるような気がした。

貴方の全てが愛しい。

薔薇の甘い芳香に、目を伏せて微笑んだ。

「…………好きだよ」

わたしの耳に、彼の想いが届いた。

囁く程の告白は、何よりもわたしの胸を打った。

「…わたしも、一松さんの事が大好きですよ」

この喜びを堪能するのは後からでも構わない。

捨ててもいい、と言った彼の本心は大切にして欲しい、だと思う。

真反対の言葉を吐くのはひねくれてるんじゃなくて、これ以上無い程に易しい。ひねくれ者と言われるなら。

分かりやすい優しさを、二人で大事にしよう。

邪魔者は何処にもいない。障害物なんて、二人ならどうにかなるから。

薔薇を後ろ手に持ち替えて、一松さんと向き合い、身体を彼に寄せた。

目を閉じた。

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