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「…帰ってくるのが随分遅かったですね。」
苛立ちを隠す気もないラトの声を聴いて、あ、と思った時には時既に遅し、だった。反射で目を瞑る。……こういうとき、決まってラトはその感情をぶつけるように華奢な腕を私に伸ばすのだった。
空気と共に壁が揺れる音がする。ッ、と声にならない声が出たのもほぼ同時だ。いたい、と僅かに抗議してみるも、額に青筋を立てた彼にはまるで聞こえていない。その圧を肌が理解する時にはもう、私の恐怖すら吹っ飛んで脳死で『ごめんなさい』が飛び出るのだけど。
「ねぇ、どうして約束を守ってくださらないんですか...? 主様、早く帰って来てくださいねとあれほど言ったのに...それとも帰りたくなかったですか? また、置いていこうとしたんですね...?」
ラト、違う、違うから。肩強く掴まないで。いつものことだけど、その細い腕からどうして骨が軋ませるほどの力が出せるんだろう。でも、私は知っていた。原動力を。
あどけない顔立ちにはふ、と翳りが灯っている。それはきっと、恐怖だ。ラトに脅しのような形で問い詰められている私よりもきっと、恐怖に足が竦んで消えてしまいそうになっているのは彼の方だ。
過去に私が数ヶ月間屋敷を留守にしたことがラトの中で膨大なエネルギーになっているのだろう。『捨てられた』『置いていかれた』『ひとりになった』という、本能に刻み込まれた心の傷が、今のラトの防衛本能になっている。
「…ごめんね。」
おかえりって言ってよ。そんな言葉を丸々呑み込んで、ラトの首に腕を回した。なんの抵抗もなくラトはそれを受け入れる。これもいつもの日常と、何ら変わりはなかった。
首が締まるほど強く抱きすくめられる。このまま圧迫死してしまいそうだ。強く、密着したせいで、ラトの匂いが嫌でも鼻の奥をツンと刺激する。ラトの優しい匂い。…それに混じった、鉄の臭いも。
血、だ。
ラトは、執事たちは、今日もきっと。
「また後で来るから、ちょっと行っていい?……あのー……?」
抱擁から身を剥がした私に、露骨に嫌そうな顔をした。どこにも行かせたくないのだろう。現に腕はずっと掴まれたままで、神経が痛みを主張している。
「主様も物好きですね、また傷を付けられたいなんて」
つまらなそうな声色は、そのまま私の首筋にぴりりと鮮やかな傷を付けた。「…これで、私のモノです」これが、唯一安心できるもの、らしい。こくりと頷いた。
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