黒百合の勝鬨【石田三成】参

業 ページ35

その名は、徳川の家臣がAを呼ぶ時に使用する字(あざな)。
それ以上は考えたくなかった。
考えてしまえば、足が止まると思った。


「……すまない」


心臓を握り潰されたような痛みが走る。


『痛いよ』『苦しい……』『熱い』『助けて』『嫌だ、死にたくない』『ごめんなさい』『許してください』


進む度にそんな声がさざめく。
幾度もその声を、嘆きを、踏み越えてきた。


『殺さないで』


真正面からその言葉を重く受け取り続けてきた。
苦しかった。辛かった。
募り積もった言葉の山に押しつぶされてしまわぬよう、いつからか受け取ることを止めた。


「姉上ッ！」


……ごめん家康。
やっぱり私は『黒百合(これ)』に頼らないと駄目みたいだ。


Aは構えを取ったまま深く息を吐く。
誰かの屍を踏み台にして進むため、自ら忌むべきものを望んだ。

しかし、彼女が『黒百合』になることはなかった。


「……なんで？なんで、出来ない……？」

「今更気ガツイタカ愚カ者メ。『黒百合(私)』ナラココニイルダロウ？」


いつの間にか紛い者がAの目の前に迫っている。
頭よりも身体が先に受身を取ってなんとか攻撃を避けられたが、紛い者は速かった。
完全に立ち上がる前に短刀の腹を頬に当てられる。
金属特有の冷たさは無く、ただ生温い感触が頬を撫でた。


「A！」

「姉上！」

「案ズルナ、コロシハシナイ。ドチラニシロ、私ハAヲコロセナイ。ソレハAモ同ジ」


紛い者に動きを封じられているAを助けようとする三成と家康。
しかしAはそんな二人に「信長が先だッ！」と声を張って助けを不要とした。


「相変ワラズ嘘ツキダナ。本当ハ助ケテホシイクセニ。何故声ニ出サナイ？何故己ノ欲望ニ従エナイ？」


紛い者は馬乗りになってAを押さえつけた。


「オ前ハ自ラノ特性ヲ忌マワシク思ッテイタ。『黒百合(私)』ガイタカラ認メラレタノニ。『黒百合(私)』ガイタカラ戦エタノニ。オ前ハ、自ラノ罪ヲ認メタクナイガ故ニ逃ゲテイルダケダ。罪ヲ受ケ入レラレナカッタオ前ガ『黒百合(私)』ニ勝テルワケガナイ」

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