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「ありがとうございました」
俺は今日最後の顧客に向けて、いつものように深めにお辞儀をした。
ふと気になって時計を確認すると、ちょうど十六時を回ろうとするところだった。
今日こそ十五時きっかりに窓口を閉めるつもりだったのに、自分の中での賭けに負けたような気分になって小さく溜息をつく。
まあ十五時きっかりに窓口を閉めたところで、面倒な仕事はその後に待ち受けている。
定時になんて帰れるはずもないんだから、無意味な賭けだ。
とりあえずコーヒーでも一杯飲んでからにしよう。
いつの間にか残業への抵抗感なんてどこかに置いてきて、窓口を閉めるといつも真っ先にコーヒーを頼む流れまで自分の中で定着していた。
何もないまっさらなデスクを薬指で二回叩く。
そうしてデスク上に呼び出されたタッチパネルの項目から、テイクアウト、を選んで一階のコーヒーショップと内線をつないだ。
「すいません、三十一階の二宮です。はい、いつものやつで」
いつもの、なんて使う日が来るとは子供のときは思っていなかったけど、毎日同じような時間に同じものしか頼まないんじゃ、必然的に相手に把握されるわけだ。
まあ、所詮は会社内のコーヒーショップだけど。
いつものように十分もしないうちに届くだろうと椅子に腰を掛けると、背後でコンコン、と扉を叩く音がした。
誰だろう、まさかコーヒーが一分もせず届くとは思えない。
「はい、どうぞ」
そう声をかけると、失礼しますと言って見慣れた制服の女性が入ってきた。
「あれ俺、今さっき頼んだばっかりで…」
随分と早い、と女性の手元を見ると、俺がいつも頼むものとは違っていた。
「こちらの部屋に届けてほしいと、別のお客様からご注文が…」
「別のお客様？」
俺の腑に落ちない反応に、目の前の女性店員は焦っている。
間違えたかもしれないと思っているらしい。
「その別のお客様って、名前は」
「それが、お店に代金だけ置いて帰られたようで、お名前は…」
「…そうですか、分かりました、ありがたく頂戴します」
俺がそれを受け取ると女性店員は安心したのか、ぱっと表情を明るくした。
部屋に一人残された俺はそれを一口飲んだ。
いつもの苦みとは違う、甘ったるさが口全体に広がる。
「…早くブラック来ねえかな」
そう呟いて、またそれを口に含んだ。
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作者名：凛南＊* | 作成日時：2017年5月30日 21時
