happIness*2-29 ページ29
その夜、翔くんは帰ってこなかった。
ベッドで小さくなってうとうとしながら帰りを待っていたけど、
彼が静かな声で「ただいま」と言うことはなく、朝が来た。
.
欠伸を噛み殺して、リビングへ向かう。
端末には、何のメッセージも入っていない。
……泊まりの仕事だったんだろうか、
でもパッキングしていた様子はなかった。
.
「ぁ、ぃ、ぅ、ぇ、ぉ」
.
小さな声が、今日も出ることを確認する。
……これって、誰かに報告した方がいいことなんだろうか。
生憎、通院の予定は明日。
事務所に言った方が良いのかな、
でも明日もこの声が消えていないことを、私は保証できない。
……ちゃんと病院で診断されてからにしよう。
.
翔くんだけには、教えてあげたい。
声が、出るようになったよって。
.
喜んでくれるだろうか。
彼の、名前を、呼んであげたら。
おかえりなさい、と言ってあげたら。
彼は、どんな顔をするだろうか。
.
ぼんやりと、そんなことを思っていた。
結局、彼が帰宅したのはその日の夜で、
心なしかいつもより疲れているように見えた。
.
「あれ、起きてる」
「、」
「ただいま」
.
声が出ない私に慣れてしまっているのか、
翔くんは私の返事を聞かずにすたすたとお風呂場へ向かってしまう。
声を掛けるタイミングを失って、
私はぽつんとソファの上で待つことにした。
.
____ ♪
ぽん、と机の上に置かれた端末が、音を立てる。
わたしのじゃない、彼のだ。
一度切れて、また掛かってくる。何度も、何度も。
.
私はそれをそっと手に取った、
何度も掛かってくるってことは、急用だろう。
シャワーを浴びている彼に知らせてあげなければいけない。
.
"柏木 涼子"
そう表示された画面に、思わず端末から手を離す。
女の人だ、知らない名前。
鳴っているのは、翔くんのプライベート用の端末、
仕事の人じゃない。
.
一度切れて、ロック画面になったそれを見つめていたら、
またすぐに着信音が響いて、
その女の人の名前が表示された。
.
私は後退りをして、ソファで膝をかかえる。
響き渡る軽快な音が怖くて、
ぎゅっと耳をふさいだ。
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