月下に駆ける。【練紅炎】

〇参〇 ページ4

コツリ、コツリ。

規則正しい音が、石畳を渡ってこちらへ向かって来る。

露月は、下がり気味になっていた瞼を持ち上げ、前から歩いてくる人物に目線を投げた。



淡い藤色の衣装を靡かせ、いかにも上等そうな扇子を眼前に翳した、その人物は、練 紅徳親王の正室である練 淵明(えんめい)であった。

数人の女官を従え、つまらなそうに周りの美観を見回している。

露月は柄杓(ひしゃく)を静かに置くと、道の脇で膝を折った。




この時刻に淵明はいつも中庭へ下りてくる。別段、特別な用事があるわけではない。紅徳親王の寵愛を受け損ねた彼女にとっては、その身に溜まった鬱憤を誤魔化すための暇潰し。
だからといって、鮮やかな花や優しく頬を撫ぜる風が心を安らかにはしてくれない。石橋が架かる池で自由奔放に泳ぎまわる鯉ですら、夫に愛されず【後宮】という場所に縛られた自分を蔑んでいるように思えてならなかった。





だが、そんな淵明は近頃 ''遊び道具'' を見つけたらしい。

大層、御執心だそうだ。









「あら、白蛇の化物がこんなところで何をしているのかしら？」









淵明は露月の前で立ち止まると、嘲笑混じりに吐き捨てた。その口許には、後宮の清らかさに似合わない意地の悪い薄ら笑いが浮かんでいる。

────ああ、また。

日の目を見ない露月の独り言は、今の暦に入って十回を超えた辺りだろうか。いつも誰かに届くことなく、地面に跳ね返って戻ってくる。

露月は、憂鬱さに歪んだ表情(かお)を覗かれないよう膝を立てて深く平伏した。

〇肆〇→←〇弍〇

→ 目次へ｜作品を作る｜感想を書く
他の作品を探す