溺れる人 / 天祥院英智 ページ15
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ガヤガヤと騒がしい。これはなにも可笑しいことじゃない、だって一時の休憩。少し空気が緩むのも当たり前。それなのに、どこか違和感があるのは、多分君のこと。ひとり、どこか違うせかいにいるみたいな君の、いつにも増して真剣な眼差しで向ける先は、沢山の赤が入った台本の、最後のあたり。君にとって最後の、たいせつな、一場面。漸く迎えるその撮影に、ほんの少し緊張しているらしい。そんな僅かな変化に気づく人は他にはいないだろうけど。
そういえば、昨日珍しく二人揃って仕事の無かったから、滅多に言わない君のお願いを聞いたんだっけ。
ひらひら、と見せたそれは、僕たちのはじめての共演作。
“よかったら、少しだけ付き合ってくれないかな?”
道化の彼ほどではないけれど、あまり人前で見せることのない、すこしだけ不安を滲ませた微笑みを浮かべた君は言った。
“勿論。僕も丁度合わせたいと思っていたしね。”
君と僕だから、出来るんだけど。でも、君と僕だからこそ、宙ぶらりんになってしまいそうな、そんな矛盾をきっと抱えていたんだよね。
× × ×
パンッ!と音が弾けて、その場の雰囲気が一変する。ここは、殺風景なスタジオ。でも、今から始まるのは、ドロドロとした心情を塗りたくったみたいな、暗い夜の話。舞台はたしか、ひっそりとした丘とかそんなところ。
本来ならば、きちんとその場所で撮った方が良いのだろうけど。何かあったら、なんて言って君が反対したんだよね。僕は、過保護だなんて笑い飛ばせないけれど、そんな希望を叶えてしまう、近年の技術の発展は恐ろしいとも思う。
そんなわけで、最低限の演出にと無機質な風が吹いて目の前の彼女のスカートを揺らす。ただそれだけの筈なのに、なんだかその風がやけに生ぬるいような、この場がじめじめとしている気がするのは、きっと君が作り出す舞台だから。いや…もう、ここにいるのは君ではない、か。
いつかの憧れの英雄が与えられた台本に絡めとられて敗北したように、彼女もまた憐れな愛を溢す。
『どうしても、だめなの?』
当然のことながら、台本は頭に入っている。知っていたはずの言葉に、少しだけ心が揺れた。いや、ズドン、みたいな、結構重い音を立てて心に沈み込んだ。彼女の細くて重い悲痛な叫びが錘となって僕を締め付けて、真っ暗な何処かに突き落とした。例えるなら、深い海の底。
でも、ごめんね。どうしても、駄目なんだ。このせかいは、僕と彼女だけのものではないのだから。
ふと溢れた思いは世界から拒絶されるみたいに、ぼこぼこ泡を立てて消えてしまう。
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作者名:ねむい | 作者ホームページ:
作成日時:2019年8月26日 19時