2 初めての頃は ページ2
最初のうちは、かなり苦労していた。
何せ、まだ中学3年なものだから、学校へ連絡しなければならない。
政府のほうからの書類やら判子やらをありがたく受け取り、必要事項を記入して提出した。
その時には同じ学校の中で他に受けていた人が居なかったらしく、とても驚かれた。同時に、学校の歴史に刻まれたのであろう。恐らく1月の集会で校長が語り継いでいるのかと思う。この前の演練先で同じ学校出身の主さんと会ったら私のこと知ってたし。
そんな感じで、学校のほうはわりとあっさりと説得出来たし、なんなら卒業まで出ていていいと政府からの許可も降りた。
ただ、私が苦労したのは親の方の説得である。
面接先には友達と行くと嘘を吐いて行ったからそこから説明をしなければならない。なんなら私が高校に行くという前提で話をしていたし、私も学校へ連絡しなければならない直前までばっちり隠していた。
そりゃ散々怒られるよね、まだ16にもなっていない自分の娘が「私歴史守るから家出るわ」なんて突然言い出したら。というかまず理解が追い付かないだろうね。
そこで私は、初期刀のまんば君を本丸から引きずりだし、政府から資料を貰って、1からちゃんと説明した、そのお陰で土日全部潰した。仕方ないけど。それでやっと許可降ろしてもらって、本丸に行き帰り出来るようにって、3月一杯までの期限つきで政府からそういう道具を借りた。それを使っては土日の度に、家から本丸へ行っていた。今となっては懐かしい話。
わりと友達とは仲がいい子ばかりだったので、教えたときにはそれはそれは驚かれた。というか一緒の高校行けるかもねなんて話をしていた子には申し訳なかった。ほんとごめん。
今でも連絡は取るし、なんなら休みの日に帰って一緒に遊んだりもしている。
あの時は一度何人かでうちに押し掛けられて、私の刀剣男士を見たいと言われたこともある。
あの時は初太刀の光忠をよく連れて行ってたなと思う。我ながら初めの数日で太刀を引くとか相当強運だと思ってる。今でも思うし。
そんな感じで、わりと緩く卒業までの日々を過ごしていた。
まあ卒業式翌日には本丸にすぐ行けるようにと準備してたんだけどね。
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作者名:koto | 作成日時:2018年2月15日 6時