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本作は上中下巻となっております。

上巻はこちら→ノンブレス 上 【オリジナル小説】
 ばしゃん。
 水たまりに思い切り足を踏み入れてしまって、ジーンズの裾に水がかかる。義明はそんなことに構っている余裕はないというような切迫した表情で、点滅し出した信号機横目に横断歩道を渡り切った。そのまま路地へ走り、塀を越えて空き地に出る。
 肩で大きく息をしてから、再び駆け出した。
 少し大きめの道路を沿って、三つ目の角を左へ。石の階段を夢中で駆け上がって、上へ、上へ。
「はっ……はっ……」
 階段が途切れたことに気がついて顔を上げる。台風の暴風雨の最中でも、見慣れた風景がそこにある。
 行事がなければすぐに忘れ去られてしまいそうな、小さな寂れた神社、三坂神社だ。
「っ、はぁ……」
 とりあえず軒下へ入ろう。無礼を覚悟で頭を下げながら屋根の下へ入らせていただく。
「後でお供え物持ってこなきゃな……ああ違うか、仏じゃないや。神様か。賽銭だな」
 賽銭箱の隣にどかりと腰を下ろし、喘ぐ。咳き込んで唾を嚥下する。雨の湿気が、べたつく口腔の熱をゆっくりと冷ましていく。
「ふー……」
 髪の毛の水を手の甲でぬぐい、義明は背中を丸めた。今はこの温度が心地いい。しかしそのうち、濡れた服にどんどん体温を奪われて、動けなくなるだろう。渇いたタオルと服が欲しい。できるなら、空腹を満たす暖かいスープも……
 ──惨めだ。
 ぎり、と歯を食いしばる。どうしようもない、どうしようもなかった。
 自分は無力で、誰かに頼らなければ生きていけない。知らないうちにそうなっていた。誰かに頼らなければ、簡単に死んでしまうような、もろい生き物になっていた。
 不意に友人の顔が眼裏に浮かぶ。彼なら、親とのことで悩むことなど、きっとないのだろう。悩んだとして、たとえそこから逃げ出したとして、彼なら、龍ならきっと、友人の家にでも匿ってもらうのだろう。
 自分に、そんな破天荒で常識はずれの友達はいない。
「みじめだ」
 つぶやいてみて、じわりと目の奥が熱くなるのを感じる。どうせ雨でびしょびしょだ。構わない。
 泣くのなんて、いつぶりだろう──

 目を覚ましても冷たいお堂だった。泣いているうちに眠ってしまったらしい。随分と寒い。義明は濡れて重くなったパーカーを鬱陶しがりながら、身震いをして二の腕をこすった。
「寒い……」
 ぶるぶると、ジーンズのポケットの中で携帯が震える。無理やり捻じ込まれたそれをかじかんだ手で取り出し画面を見ると、樫木辰之進の文字がある。応答ボタンを押す。
「っはい……もしもし」
『義明、お前今どこにいる』
「神社」
『三坂神社か』
「うん」
『今迎えに行くから』
「帰りたくない」
 義明は駄々っ子のように強く言い切った。一つ間を置いて、龍は息を漏らして笑った。
『わかった。待ってろ』
 小さくなって寒さを凌いでいると、間も無くして、スニーカーのパタパタという足音とともに、男が階段を駆け上がってきた。一直線に駆けてきた龍は立ち止まることなく賽銭箱の前まで来て、顔を上げ、震える声で名を呼ぶ義明の肩を、強くつかんだ。
「お前っ……」
 鼻の頭に肩がぶつかる。背中に回される腕が痛くて、飛びかけていた意識が引き戻される。無遠慮に押し付けられるウインドブレーカーが、びしょ濡れで心地が悪い。
「何で俺のとこに来なかった。こんなとこで、びしょ濡れになって。肺炎で死にたいのか」
「……ごめん」
「あいつらはお前を殺したんだ。死ぬのなら、奴らを殺してから死ね」
 殺せなかった。俺の方が殺される気がした。だから、逃げた。
 涙腺が緩んでしまったらしい、さっきの涙の跡をまた熱い汁が流れていく。
 出来のいい兄姉に比べて、末っ子の義明はまるで勉強ができなかった。兄姉と同じく本が好きで、考えることも好きだというのに、どうしてか、自分だけが勉強ができない。父母は努力が足りないせいだと言った。兄姉だって、そんなに勉強はしない。それなのに自分だけが勉強ができない。
 絵を書くことが好きで、一通りの予習や復習を終えたら、義明はいつもスケッチブックに絵を描いていた。ゲームよりも、カラオケよりも、絵が好きだった。自分の描く絵が上達しているのが目に見えてわかって楽しかった。
 それが父に見つかって取り上げられたのは、ついさっきのことだった。
 そんなことしていないで、勉強しろ。そんなんだから成績が上がらないんだ。と。
「聞いたら絶対笑うよ。しょうもない」
「お前がしょうもないのはいつものことだよ。立て、帰るぞ。俺んちに来い」
「寒い、立てない」
「自分で立て」
 義明の前に手が差し出される。硬くなった関節をゆっくりと伸ばし、その手をつかむ。感覚はなかったが、暖かい気がした。ふらついたことろを慌てた龍の腕に抱きとめられて、そのわずかな暖かみに目を閉じる。寒い。温度が優しい。眠ってしまいたい。
「おい」
「ん……」
「おい、ふざけんなよ、義明。俺に、抱っこして家まで送れって言うのか」
「いや、歩く」
「それがいい」
 携帯を取り上げられて顔を上げると、タオルが吹っ飛んできて前方がふさがった。
「こんなにずぶ濡れなのに、よく生きてたな、これ」
「ああ……」
「そんなこと話してる元気もないか。もう行こう」
 腕に強く絡まった龍の腕が、義明の体を支え、肩を持った。その端正な横顔は、懐かしの日の面影を残しつつ、大人になろうとしていた。





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作者名:漆原 真 | 作成日時:2014年11月18日 22時

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