【◇A】にがくて、にがい。【倉持洋一】 (ページ34)

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32話ページ34

それから、倉持は宣言通り内村さんに別れを告げた。

できるだけ内村さんを傷つけないように、丁寧に丁寧に言葉を選んで別れを告げたとの噂だ。

たまに廊下で見かける内村さんもすっきりとした顔をしていて、何というか、遺恨を残さないお別れの仕方をしたのだと分かった。

倉持が可愛い彼女と別れたという話は日々女の子に飢えている野球部内に瞬く間に広がり、

勝手に倉持が振られたと勘違いした同級生たちから倉持は憐憫の情を抱かれ、購買でパンを奢ってもらったりして慰められているらしい。

．

「倉持、別れたんだってね」

自主練終わりにいつもの土手に私を呼び出した亮さんは飄々とした口調でそう言った。

「はい」

「でも、お前と付き合ったりするわけじゃないんだろ？」

「そうですね。＂前みたい＂に戻りたいって言われたんで」

「＂前みたい＂に、ね……倉持も罪なやつだね」

「はは………」

ニッコリと冷ややかな笑みを浮かべた亮さんに思わず苦笑する。

しかし倉持に対する厳しいこの態度は、愛情の裏返しであることを私は知っている。

そして、亮さんは私のこともかなり可愛がってくれているということも知っている。

まるで本当の妹かのように接してくれるこの先輩が、私は大好きだ。

「ま、何はともあれ一段落かな。お前的にはそうでもないだろうけど。これで普通の状態で夏に挑める。」

＂倉持、あのままの状態が続いてたら俺が試合に出さなかったよ＂と続ける亮さん。

そう、亮さんたちの最後の夏は刻々と迫ってきている。

一週間後には西東京都大会の予選、初戦の米門西との試合が控えているのだ。

「…亮さん。私、亮さんこと大好きです」

「何？いきなり」

「大好きですから、もっと一緒に野球してたいです。もちろん、純さんや哲さん、貴子先輩、増子さん、クリス先輩、丹波さん、宮内さん………みなさん大好きです。だから……」

＂絶対、甲子園行きましょうね。＂

その言葉は亮さんに頬を抓られて告げることが出来なかった。

「生意気」

「りょうさ、いたいれしゅ(亮さん、痛いです)」

私の頬を抓んでいた手を離して、亮さんは言った。

「言われるまでもないよ。連れて行ってやるから、スタンドで見てな」

「！…はい！！」

私が笑顔で返事をすると、亮さんは満足気に頷いた。

頬を撫でた夜風は、熱い夏の訪れを予感させた。