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兄弟のいない私は、外資系会社を経営する父と、母に育てられた。
父の仕事上、転勤も多く、その状況に慣れていたからかどうせまたすぐ転校するだろうと思い、深い関係の友達はあまり作ってこなかった。
その分、母が気にかけてくれていたから寂しくもなかった。
中学入学のとき。
「中学では転校ない?」
私の質問に母は「ないよ、友達とたくさん思い出作ってね」
そう言った。
今思えば娘には心配かけないようにと思っていたのだろう。
その時には会社の経営は傾いていた。
そんな事を知らない私は普通の中学生活を過ごした。
部活に、恋愛。親友と呼べるような友達もできた。
しかし中学3年の頃。
会社は遂に破綻してしまった。
元々プライドの高かった父は、現実を受け止めきれず再就職もせずパチンコに明け暮れた。
そして、家に帰ってくると、ストレスから母や私に当たるようになっていった。
中学生の私から見ると、大きな男の人の手。
上から何度も髪を引っ張られた。
私は、自分より辛そうな母の姿を見るほうが心苦しかった。
「お母さん、一緒にここから出よう。」
静かに涙を流した母の顔を私は一生忘れないだろう。
私は友達と約束していた高校の受験を辞め、別の県の高校に進むことにした。
中学を卒業して1週間後、父がパチンコに行っている間に必要最低限の荷物を持ち家を出た。
高校に入ってからは、過労とストレスで入院してしまった母の見舞いとバイトの往復だった。
嫌われたら殴られる。
そんな思いから高校でも常に相手の気持ちを優先するようになっていた。
母「A、無理しないでよ?」
私は大丈夫だから。
そう言っていたのに。
…母は病気で高2の冬に亡くなった。
目標も生き甲斐もなくなった。
でも生きないといけない。
母の葬式でそう強く感じた。母がそう願っている、と。
やりたいこともない私はそれを見つけるために東京の大学へと進学した。
相手の様子ばっかうかがって生きてきた私を、過去も含めて全て受け止めてくれたのがあいりだった。
大学では、彼女が色んな場面に連れ出してくれたお陰で男女問わず友達は出来たし、男性に対する恐怖心は薄くなった。
が、自分に向けられる手の恐怖は拭えず、ハイタッチでさえ避け続けた。
元々私が壁を作っているのを感じていたのか、卒業後は大学時代の友達も疎遠になっていた。
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みーみ。(プロフ) - まゆさん» ありがとうございます!嬉しいです! (2022年9月12日 1時) (レス) id: c7074f5561 (このIDを非表示/違反報告)
まゆ(プロフ) - これからも更新頑張って下さい!応援してます!! (2022年9月11日 10時) (レス) @page15 id: d503357f65 (このIDを非表示/違反報告)
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作者名:みーみ。 | 作成日時:2022年9月6日 21時