第五十四話【誰かの為に】 ページ34
外に出ると涼しい風が頬に当たるのを感じた。それが何よりも心地好くさせた。矢張り、疑心や駆け引きばかりではどうも息が詰まってしまう。慣れた事と思っていたが、そうでもなかったようだ。
私は小さく深呼吸をした。
今日一日中、街の中心街に港湾、喫茶店など、至る所へ赴いた。ただ日々窮屈な生活の息抜きとしては、丁度いい機会だった。私も本当は誰か年の近い人達と一緒にお喋りをしたり、お菓子を食べたりする事に少し憧れていたのかもしれない。
ずっと組織の命令に従い、誰を生かすか、殺 すかも命令によって左右された。私の意思など尊重される世界でない。そうして過ごすうちに、私自身の願いも夢も何も生み出さなくなった。しかし、今日初めて、私自身の役目が分かった。生まれて初めて自分がやらなければいけない使命。その使命を果たす為なら、命もかけていいとさえ思っていた。
"でも、それは自分の為なのか?"
不意にそんな疑問が頭を過った。
私と彼にはそれほど強い関係はない。強いて言えば、龍頭抗争の少し以前から知り合ったようなものだ。私にとって利点はない。しかし、彼が生きているだけで大勢の人が救われる。彼の死によって起こる後悔と懺悔の連鎖を断ち切る事ができる。自分の為ではなく、誰かの為に動けば、この汚れた手も少しは綺麗になるのかもしれない。
ふと、外套のポケットに手を入れると、木の葉が入っている事に気がついた。私はポケットの中から葉を取り出した。探偵社の窓から葉を出そうとした時、太宰に声を掛けられ無意識にポケットへ入れてしまったのだろう。
私は徐に葉へ視線を落とした。この葉は彼が眠る墓の側に生える木のものだ。太宰がこの葉の事を知っているという事は、彼もあの場所へ行っているのだろう。誰か一人でも来てくれるのなら、寂しくはない筈だ。私も、誰かの記憶に残れる存在になり得るだろうか。そうすれば、私の存在が無意味ではなかったと思える、ただそう思いたかった。
不意に強い風が吹いた時、手の中の葉が風に巻き上げられた。すぐに手を伸ばしたが、手から離れていく方がずっと早かった。葉は右へ左へ風に流され続け、いつしか見えなくなった。
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作者名:トキハル | 作成日時:2019年11月17日 14時