〈第一編〉誰がためにその雨を

−序− ページ1

――――今日のお江戸は雨。
暦では仲春と言いますが、
まだまだ寒く乾いたこの時季には珍しいものを、仏様は持ってきなすった



その寺にいる一人の老僧が、ある墓前で手を合わせている一人の女に、そう、声をかけた。
女は目を薄く開くだけで、老僧の方には一瞥もくれない。



――――こんな日に外に長く居らしては、いくら傘(からかさ)を差そうともお体に障る


――――・・・いいのです。
願わくば、このまま死んでしまいたい



女の口から出たのは弱々しい言葉。
本来、仏に仕える身ならば何か一言、言ってやるべきかもしれないが、老僧は沈黙した。
女はすっと立ち上がると、
先刻まで自分が手を合わせていた墓を見据えた。



――――あの人は、一度も私を見てくださらなかった。
あの人には心に決めた方がいたのです。
その証拠に・・・
ほら、この手紙。
前日まで何度も何度も、書いては捨てておりました。
達筆だと褒めそやされた彼がですよ。
・・・結局、あの人はその思い人に直接渡せず、その亡骸の上に置いておいたそうです



くすくすと笑った女は、曇天に目線を移す。



――――あの人は、いつも真っ赤。
身も心も、日のように凛々しく燃え立つ赤。
でも、私の目には何も見えなかった。
・・・見せて下さらなかった



老僧も空を見上げ、



――――あぁ、日が差してきたようだ




　

・解説ページ・その1〜人物編〜→

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