第捌話 ページ14
初陣から数日が過ぎた如月の半ば。
武装をせず楽な格好で廊下を歩く春畝は、桜の有る庭の前で歩みを止める。
「……あ、いた。かせ……ん……？」
漸く探し人を見つけ歩み寄ろうとする春畝だが、其の言葉はだんだんと尻すぼみになり歩みも止まった。邪魔してはいけないと思わせる雰囲気が、其処には有る。
歌仙は庭に居た。幹に右手を置き、枝を広げる桜の樹を見上げて何か独りで話していた。
何を話しているのかは解らない。だが他の誰にも見せない様な優しげな表情を浮かべ楽しげに何か話している。
歌仙にしか見えない何かが其処にいるのか。或いは本当に桜が大切なものなのか。其れは解らないが、桜の足元に立つ歌仙は此の世の物ではない美しさが有るように感じられた。
桜の周りだけ冥界に通じている様だった。
「やあ、ハル。僕に用かな？」
不意に歌仙が本丸へ視線を移し、廊下から此方を見やる春畝に気が付いたらしく柔らかに微笑む。名残惜しそうに桜の幹から手を離すと、また来るよと声を掛け背を向けて歩き出した。
唖然とする春畝の前へ立つと桜の方を指して花の綻ぶ様な笑みを浮かべる。
「……あぁ、あの桜かい？あの桜は万年桜と此の本丸では呼ばれていてね。年中いつでも満開なのさ。風流だろう？其れはそうと……傷の具合はどうだい？」
「あ、あぁ……うん。お陰様で。まだちょっと痛むけどね」
「其れは重畳。さて、僕に声を掛けたという事は何時ぞやの本丸案内の件、と取って構わないね？」
御名答、と春畝は片目を瞑った。其の悪戯めいた表情に歌仙は小さく噴き出す。
和気藹々とした兄弟同士の会話に春畝も表情を緩ませた。
「任せると良い。此の本丸で誰よりも此処に詳しいと自負しているのでね。何せ最初から居るんだ。誰よりも早く」
初期刀。春畝の脳裏に其の言葉が浮かぶ。
審神者となった者が最初に選ぶ打刀。
唯一主に選ばれた付喪神。
成る程、此奴がと認識した瞬間、彼は妙な違和感に襲われた。
「───誰よりも？」
其れは可笑しい。誰よりも早くという事は絶対にない。
「……審神者は？」
そう訊ねると彼は一瞬言葉を詰まらせた。
取り繕う様に溜息を一つ吐く。
「───そうさ。主よりも、ね」
……ただ一人を残して。
一瞬きの間に見えた歌仙の横顔は酷く淋しそうだった。春畝に背を向けた歌仙は一度だけ春畝を振り返り手招きする。
「行こうか。案内するよ」
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作者名：氷空 | 作成日時：2018年11月3日 21時
