fascination ページ7
目を奪われるというのはまさにこのことで、綺麗だとか美しいだとか、言葉にすればするほど目の前の光景の描写からは遠ざかっていくような気がした。
だから、わざと何も考えずにぼうっとしていた。
ただ智が雨を全身で受け止めるのを、脳に焼き付けるように見ていた。
昼休み終了のチャイムが鳴っても、授業開始のチャイムが鳴ってもそこから一歩も動かなかった。
どれくらい経ったか分からなくなってきた頃に、智がくしゅん、とくしゃみをして身を震わせた。
雨に打たれている智は、神とか仏とか幽霊とか妖精とかアイドルとか なんでもいいけど人間以外の神秘的なモノのように見えていたので、急に近しい存在にまで戻ってきた彼を見て唖然とした。
名残惜しそうに、雫の滴る前髪をかき上げながら、下駄箱に戻って来るのと目が合う。
しばらく雨の中にいたせいで唇が紫色になっている。寒いのだろうか。
俺はすこしがっかりしていた。もう少し、智が雨と遊ぶのを見ていたかった。
そう思っているうちに、まるで俺が居ないかのように(実際ほんとうに見えなかったのかもしれない)すっと横を通り過ぎて行った智。
ぽたぽたと雫を落としながら廊下を歩いていく背中に、気付いたら声をかけていた。
「飲んだよね?」
何て言ったら振り向いてくれるだろうと考えた瞬間から、もう俺はこの男の沼に足を踏み入れていた。
「雨って美味しいの?」
ぴた、と足が止まってくるりと振り返る。智が歩いたところは落ちた雨粒で水の道ができている。
濡れた頬。シャツから透けた健康的な色の肌。束になった髪。
「あまいよ」
自分で作った雨粒の道を辿って引き返しながら、智はぺたぺたと近づいてきた。
真正面に立ち、にやりと笑って…まだ濡れたままの親指を俺の口に突っ込む。
「甘い」
「っ…」
驚いて逃げようとしたけど、反対の手で頭を抑えられて動けず、その間に親指についた雫が 舌先に触れて溶けた。
何の味もしなくて、困ったように智を見上げれば
「ウッソー」
ケラケラと、意地悪く笑う。
ちょっとムカついてその手を振り払った。でも…
「またピアノ弾く?」
唐突に乱暴に戻された時間と話題。
智の興味の矛先が再び自分に向いたのが、痺れるほど嬉しくて。
それでもう、このときにはきっと手遅れなくらい、奔放すぎるこの男に惹かれていた。
何千通りもある出会いの中で、大野智をみつけた悪夢。
だけど一生、醒めないでほしかったと 今でも思う。
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作者名:きんにく | 作成日時:2020年4月19日 0時