Holiday ページ38
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『明日のレッスン、キャンセルしておくから。頭冷やしなさい』
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冗談かと思っていたのに、昼過ぎに来るはずのレッスンの講師は いつまで経っても来なかった。
午前中、何度もミスを重ねながら動かし続けた指は、感覚を失って冷たい。
やらなければ、と張り詰めていた心は、母のどんな言葉にも折れなかったというのに、
ピアノの先生が来ないだけでポッキリ折れた。
いた、たぶん昨日の夜に、もう折れていて
見栄とかプライドとかそういうので、今日の午前中は持ってたんだと思う。
つまり、今はすごく
弾きたくなかった。
弾きたくない、と一瞬でも思ったら、重たいグランドピアノを見るのも嫌になって、ピアノと同じ部屋にいるのも嫌になった。
「…はぁ……」
誰も聞いてやしないのに、わざと声を出してため息をついてみる。
窓を開けると、ムッとする空気が部屋に流れ込んできた。
少し風が吹いていて、見下ろす街並みの向こうに海が見えた。
…海。
いまさら、眩しくて目を細めた。
目にかかる前髪が、邪魔だ。
海が、夏の太陽を受けて白く見える。入道雲が、絵画みたいに空に居た。
「夏って……こんなだったっけ……」
学校を越えて、しばらく行ったら海に着く。
今から行ったら、ちょうど落ちる夕日が見えるかもしれない。
くるりと後ろを振り向くと、真っ黒なピアノ。
外の明るさに目が慣れて、部屋の中が薄暗く思えた。
光る海。遠くて広くて真っ青な空。
ドキドキした。
コンクールまであと6日もない。
いいのかな。ココを離れても。
今日だけ
今日だけ離れてしまおうか。
ちょっと、怖いけど…
グーとパーを交互に繰り返しても、痺れたようにうまく動かない両手。
逃げたい。一瞬だけでも。
頭の中はせわしなく動いても、窓の前で止まった体は固まって動かない。
でも、入道雲が座ってる空に、1本のひこうき雲を見つけて。
なんとなく、アイツの真似をして、痺れた人差し指でツーっと辿ったら
なんだかすごく、追いかけたくなった。
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Sea is danger.→←that student(sideM)
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作者名:きんにく | 作成日時:2020年4月19日 0時