name(side S) ページ40
大野くんは、まるでオーロラを見た人のように(オーロラを見た人を見たことがないが)目を輝かせて感動した。
マドレーヌの小袋よりは、ごほうび、という甘い言葉に感動しているように見えた。
いそいで受け取ろうとするのを、ひょいと高く持ち上げて、かわす。
「え、」
「お礼を言われなくては」
「あ…ありがと」
「先生に向かって言うんだよ?」
「ありがとうございます」
「ふふ、…ハイ、よろしい」
子ども用の会話と、高校生向けの会話が、ぐちゃぐちゃに混ざる。
そのアンバランスさを、危ない…と思うこともある。でもこれも、彼の個性なのかもしれない。
「…今日は二宮くんと帰れなかったねえ」
二宮くん、と言うと、大野くんは口をもぐもぐさせながら、一瞬、だれ?という顔をした。
5秒くらい、もぐもぐと考えて、「あ、カズか」と言う。
そういえば俺は、いちども彼に名前で呼ばれたことがない。名前はおろか、「先生」と呼びかけられたことすらない。
つまり、呼ばれたことがない。
「カズはね、鈴と帰ったと思う」
「鈴?」
「うん…、そんな気がする」
「鈴って?」
「おんなのこ」
「え、彼女?」
「知らね」
どうでもいい、というように、小さな口でもぐもぐを続けた。
「…鈴ちゃんって言うの?その女の子は」
それが気になったのは、「すず」のアクセントが、「ず」のほうに強くついていたからだ。
まるで物質を指す呼び方で、大野くんは、すず、と言った。
「ちがう……名前は知んない、鈴みたいな声」
唇についたかけらを、ぺろりと舌で舐め取る。
そのしぐさが、子どもっぽくて、でもどこか無慈悲で凶暴に見えた。
「…そう……」
大野くんは、俺の名前を知っているのだろうか。
「ん?」
急に、肩が重くなって、平然といられなくなった。
鈍く、柔く殴られたような、中途半端な衝撃が、頭の中を支配する。
「…どしたの?」
顔を覗き込まれる。
大野くんは人のことを、どうやって記憶しているんだろう。
名前は、彼にとって、重要な目印ではないみたいだ。
「しんどいの?…寝る?」
大野くんのことを、分かれば分かるほど、分からない部分の衝撃に打ちのめされる。
でもそうやって、少しずつ分かっていけたら…と思っていた。
だけど
「ううん……ボーっとしてただけ…(笑)」
あと5か月も経たないうちに、彼は卒業してしまう。
大野くんは、俺の名前を知っているのだろうか。
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きんにく(プロフ) - あっちゃんさん» →もしかしたら誰かの気を悪くしてしまうかもしれなかったお話ですが、こんなふうに温かいコメントを、時間が経っても頂けることを本当に有り難く思います。なんだか下手な解説みたいになっちゃいました。読み返してみると恥ずかしい所だらけなんですけどね(笑)あはは (2021年5月6日 18時) (レス) id: bf5ab865ef (このIDを非表示/違反報告)
きんにく(プロフ) - あっちゃんさん» ガバっと素直に詰め込んでみたお話です。こんなふうに生きてゆけたならそれはそれは眩しいのではないか、とゆう想像の羅列です。完璧に無邪気であることの尊さに憧れながら、そうはいかないことへの失望までを、人生のうちに一度は文章にしてみたいなあと思っていました (2021年5月6日 18時) (レス) id: bf5ab865ef (このIDを非表示/違反報告)
きんにく(プロフ) - あっちゃんさん» あっちゃんさんお久しぶりです!読み返して頂いて本当にありがとうございます。ピアニッシモにコメント!?とめちゃくちゃビビりましたが、あまりにも温かい言葉に私のほうが泣きそうになりました(笑)とても嬉しいです。ピアニッシモは、私の憧れみたいなものを、→ (2021年5月6日 18時) (レス) id: bf5ab865ef (このIDを非表示/違反報告)
あっちゃん(プロフ) - →思うように過ごせていることを切に、願いたいものもです。回りの雑音なんて気にしない生活を送らせてあげたい。とそんなことを思いながら。長々と失礼しました。これからも素敵なお話をお待ちしてます。いつもありがとうございます。 (2021年4月29日 14時) (レス) id: 178db8b66c (このIDを非表示/違反報告)
あっちゃん(プロフ) - →最後の章は。もう涙が止まらなくて。小説を読んでこんなに泣いたことなかったなあ。…これを書いていても涙してます(´;ω;`) 。そんなお話を書けるきんにくさんが素敵!現世の彼が。同じようなことにならなくてほんとによかったと思うと共に休止中の今を自分の→ (2021年4月29日 14時) (レス) id: 178db8b66c (このIDを非表示/違反報告)
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作者名:きんにく | 作成日時:2020年6月7日 0時