higenasi ページ20
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2月の最後の日。
冬は終わらない。まだ、寒かった。
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智はいつもだいたい、話しかけても上の空だけど、今日は特に、うわのそら を極めていた。
「どうしたのそんなぼーっとして」
遠回りの帰り道。
いつも、踏みつぶされたお菓子の空袋にさえ、あっと足を止める智が
道端でつぼみを作っているナガミヒゲナシの花を素通りした。咲いたらポピーにそっくりな、オレンジの花である。
「春になると桜ばっか見ちゃうから」と詩人のようなことを言って、コンクリートの裂け目からにょきっと逞しく生えているナガミヒゲナシのつぼみを、智は早いうちから愛でるのだ。
そして本当に、4月になったら桜ばかり見て、そのかわいそうな花のことを忘れている。
哀れだなあ、と思うけど、誰も見向きもしない2月のうちから、智が見て触れて、しまいにはキスを落としたその地味な植物は、「しかたがないわね」というふうに、春になると地味に凛々しく、ひっそりと咲いている。
その姿が綺麗だから、まあいいか、と俺は思う。
でも今日は、智がナガミヒゲナシのつぼみの前を素通りした。
まるでそこに何もないかのように。
「ねえ、ぼんやり?」
反応がないので、ちょいちょい、と肩をつついた。
「ん?」
「なんか考えてる?」
「…べつに」
べつに。とは。
智はつい最近まで、俺が居ないと生きていけないのか というレベルで俺の目を見つめていたのに。
俺が右を見れば右を見て、左を見れば左を見て、怒れば「どうしたの」と聞き、用もないのに「カズ」と呼び、どうでもいいことをべらべらと喋り、大好きな歌も、ピアノの音の邪魔になるならガマンして…
まあ、この夢中も、いつか突然終わると分かっていたので、そんなに驚かないけど。
ぼうっと空中を見つめる智の横顔を見ながら、俺はなんだかホッとした。
宇宙から見た地球のような、濁りのない瞳に見つめられると、うっと怖気づいてしまうし、
智がずっとこっちを見ていると、智の目に映っている自分の、情けない顔が見えるだけで、ちっとも面白くない。
俺じゃない何かを目に映して、それがキラキラ光っているのが、智には似合っている。
そういう時の智は、自由にいちばん、近いところに居る。
それを見るのが、俺は好きだ。
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「…海行こ、カズ」
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Papaver dubium→←someone(side M)
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きんにく(プロフ) - あっちゃんさん» →もしかしたら誰かの気を悪くしてしまうかもしれなかったお話ですが、こんなふうに温かいコメントを、時間が経っても頂けることを本当に有り難く思います。なんだか下手な解説みたいになっちゃいました。読み返してみると恥ずかしい所だらけなんですけどね(笑)あはは (2021年5月6日 18時) (レス) id: bf5ab865ef (このIDを非表示/違反報告)
きんにく(プロフ) - あっちゃんさん» ガバっと素直に詰め込んでみたお話です。こんなふうに生きてゆけたならそれはそれは眩しいのではないか、とゆう想像の羅列です。完璧に無邪気であることの尊さに憧れながら、そうはいかないことへの失望までを、人生のうちに一度は文章にしてみたいなあと思っていました (2021年5月6日 18時) (レス) id: bf5ab865ef (このIDを非表示/違反報告)
きんにく(プロフ) - あっちゃんさん» あっちゃんさんお久しぶりです!読み返して頂いて本当にありがとうございます。ピアニッシモにコメント!?とめちゃくちゃビビりましたが、あまりにも温かい言葉に私のほうが泣きそうになりました(笑)とても嬉しいです。ピアニッシモは、私の憧れみたいなものを、→ (2021年5月6日 18時) (レス) id: bf5ab865ef (このIDを非表示/違反報告)
あっちゃん(プロフ) - →思うように過ごせていることを切に、願いたいものもです。回りの雑音なんて気にしない生活を送らせてあげたい。とそんなことを思いながら。長々と失礼しました。これからも素敵なお話をお待ちしてます。いつもありがとうございます。 (2021年4月29日 14時) (レス) id: 178db8b66c (このIDを非表示/違反報告)
あっちゃん(プロフ) - →最後の章は。もう涙が止まらなくて。小説を読んでこんなに泣いたことなかったなあ。…これを書いていても涙してます(´;ω;`) 。そんなお話を書けるきんにくさんが素敵!現世の彼が。同じようなことにならなくてほんとによかったと思うと共に休止中の今を自分の→ (2021年4月29日 14時) (レス) id: 178db8b66c (このIDを非表示/違反報告)
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作者名:きんにく | 作成日時:2020年6月7日 0時