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覚えのある匂いが鼻の奥に飛び込んだ。
長い間陽だまりにさらしておいた後のような、温度のある匂い。
無意識に掴んでいた彼のスウェットの背中の生地からそれが香ってきた途端、私は場違いにも、半年近く前のことを鮮明に思い返していた。
去年の11月、彼が突然私の目の前に現れた時のこと。怖くて仕方なかったはずの存在に、何故なのか自分の思い浮かんだ本を手渡した突飛な光景。色々なことを教えて、教えられて成り立っていた奇妙な交流関係。おかしくて、不自然で。それでも、誰にも見えないところに大事にしまっておきたいような、そんな思い出。
でも、それは手元に置いておくにはあまりにも大きくて、不安になるほど綺麗で。
心のどこかで、縋り付いてはいけないものだと、遠巻きに眺めるくらいが丁度いいと、そう思っていた。だけど。
今、それのど真ん中で輝いていたものが、どういうわけか手の触れる場所にある。
佐野くん。さのくん。
助けてくれた。
怖いところから、連れ出してくれた。
「ここまでくれば大丈夫か」
「……」
「平気?」
じっとしてて。そう言われたから、本当に米俵にでもなってしまったかのように押し黙っていた。それだから、地面に下ろされ、問いかけられてもすぐに答えを返すことが出来なかった。ぺたりとその場に座り込んでしまえば、目の前の彼はぎょっとしたように目を見開いた。
「おい」
「……」
「もう大丈夫だから」
そうやって言い聞かせてくれる彼の声色の嘘偽りない優しさが、一人では抱えきれなかったほどの恐怖をゆっくりと溶かしていく。怖かった。不安だった。びっくりした。ぐるぐると頭の中で渦巻いていた様々な感情は、全て安堵の涙となって両目から流れ落ちた。
「あ」
「あれ…」
「いーんちょ」
「ど、どうして」
「……」
「ううぅ」
「いーんちょ」
「さの、くん」
「ん?」
「…こわかった……」
「怖かったな」
「さのくん、ほんもの…?」
「ほんもの」
「うえぇん」
「はは、何言ってるかわかんね」
えんえんと子供のように泣きじゃくる私を前に、彼は何をするでもなく、ただ傍で相槌を打ってくれていた。ゆめじゃない、と幾度か呟けば、彼はムッとしたようにだから夢じゃねえよ、と涙に濡れた頬をつねった。マイキー、そう背後から飛び込む声を耳にしてもなお、私の情けない呻き声は収まることは無かった。
「……マイキー、オマエ…」
「は?」
「ついにやったか」
「何」
「嫁入り前の女に」
「殺すよ?」
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まめ(プロフ) - 世河経さん» コメントありがとうございます!丁寧に読んでいただいたみたいでとても嬉しいです😭 これからもよろしくお願いいたします! (2022年4月7日 11時) (レス) id: e02a633284 (このIDを非表示/違反報告)
世河経(プロフ) - 久し振りに感嘆の溜息を吐いたような気がします……作品の持つ雰囲気に刮目しました!是非、更新頑張られてください!! (2022年4月2日 12時) (レス) @page2 id: 1e6cb0271b (このIDを非表示/違反報告)
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作者名:みな | 作者ホームページ:https://mobile.twitter.com/nymn624
作成日時:2022年4月1日 21時