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三通目 ページ3

混み合う電車の波に揉まれ、その次は空いたバスに乗る。これがAの帰路である。もちろん往路はその反対である。
 Aの住んでいるのは山間の静かな集落の為、バスはいつも空いていた。

 例にもれずその日も同じで、電車内で乱れてしまった髪を整えながらバスに乗り込み、お気に入りの席である後ろから二番目の窓際の席に座った。
 日没が過ぎ闇が徐々に濃くなる頃、それに合わせてお色直しする街の景色をバスの窓が切り取る。

 思い出さぬようになんて出来ない数十分前の出来事が、Aの頭の中で重く投影されている。窓に頭をもたれさせながら吐いたため息はガラスを白く微かに曇らせていた。

 この時、あの封筒の存在は記憶の箱の中で霞んでいた。


「ただいま」

 嫌なことや落ち込むことがあった時、引きずるような足取りでも玄関の引き戸を開ければ癒される。何故ならそこは自分に戻れる場所で、気を抜いた"自分"で居られる場所であるから。

 けれどこの日は、家の中の柔らかな空気を吸っても心は淀んだままだった。両親の帰りが遅い日であったので、「おかえり」が聞こえないこともAの心に影響していた。

 ごそごそと靴を脱ぎ揃え、スリッパに足を入れて自室へ向かおうとした時、頭上から珍しい声が降ってきた。

「おかえりちゃん」

 Aは俯いていた顔を一気に上げた。

「お兄ちゃん! 何で?」

 Aの二つ上の兄である芳孝(よしたか)は大学一年生で、この春から一人暮らしをしていた。Aが兄に会うのはおおよそ二か月ぶりであった。

「今週末は完全なフリー。で、帰って来たってわけ……寂しかった?」

 自己表現が得意で明るい性格で友達も多く、学校では中心人物の一人だった芳孝は、まるでAと正反対だった。
 それでも二人は仲が良かった。芳孝はAの家と外の性格を両方理解していたし、Aは自分にないものを兼ね備えた兄に素直に憧れていた。

「別にそんなんじゃない」

 けれどこの時は妙に兄の態度が悔しくなった。

「素直になった方が女の子はかわいーよ?」

 Aは頬をつつく兄の手を振り払い、涙目を隠すように階段を駆け上がった。

 そんな背中を芳孝は優し気な目で見つめていた。

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megumi(プロフ) - パトさん» 素敵なコメントありがとうございます!幸せな時間を差し上げることが出来たなんて、とても嬉しいです。これかの執筆活動の励みになりました。 (2021年3月7日 19時) (レス) id: 1a15500b7d (このIDを非表示/違反報告)
パト(プロフ) - 素敵な作品を作って下さりありがとうございます。文章が綺麗でほのぼのとした雰囲気も好きすぎて、一気読みしてしまいました。幸せな時間をありがとうございます。 (2021年3月7日 17時) (レス) id: 8ed95612e3 (このIDを非表示/違反報告)

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作者名:megumi | 作成日時:2020年2月1日 23時

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