花朝月夕

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「初めて来た、この辺り
本当は一駅向こうの店で飲んでたんだけど、雨だからタクシーが捕まんなくて
地図アプリ見てたら、Ｔ大が近くにあるって知って、散歩がてら歩いて来た」

彼はずっと微笑んでる。

でもその微笑みの種類も、私には簡単に見分けがつく。

ほろ酔いのくせに、その微笑は完全に営業用のものだった。

「Aちゃんの勤めてる大学ってどんなとこなんだろって
そうしたら桜並木が見えてきて、まさか本当にAちゃんがいるとは思ってなかった」

さっきからずっと彼にばかりしゃべらせてる。

たぶん私が何も言わないからなんだろうけど。

「なんで何も言ってくれないわけ？」

それはとても優しい口調だったけど、彼の目は全然優しくなんかなかった。

まるで怒ってるようにも見えて、ますます私は何も言えなくなる。









「何してたの？ここで」

私が何も言わないからか、彼は質問を変えてくれた。

自分の専門分野のことなら少しは話せそうな気がして、ようやく重い口を開く。

「満開予想してたんです、桜の」

そんな私の答えに、ふっと彼の表情が緩む。

「いつ頃？
この桜が満開になるの」

「今週の金曜日辺りには満開になりそう」

「そっか…、じゃあ金曜日辺りにまた来てみようかな」

とか、変なことを言う北山さんをじーっと観察してみた。

「…何？」

私の容赦ない視線に、彼はくすぐったそうに笑う。

「来ないですよね？絶対」

別に来てほしくて言ってるわけじゃないよ。

社交辞令的な適当な言葉は要らないって意味で、そう言った。

「来るよ」

なのに彼は平気な顔をしてそう答える。

「来るから言ってる」

その声は少し怒ってるようにも聞こえて、それ以上私はまた、何も言えなくなった。

ああ…、早く帰ってくれないかなって感情と、もっと話したいって感情が、交互に現れてきて私を悩ませる。

早く帰ってほしいと願う理由は、この冴えない私服のせいでもある。

今日はメイクも手抜きだし、雨だし、深夜だし。

でも辺りが暗くてよかった。









「金曜日は今のところ休みだから、来れそう」

彼はまた営業用の笑顔に切り替えて、私の傍へ一歩踏み出してきた。

「縁ってあるよね」

そして、いきなりそんなことを言ってくる。

なんて答えていいか迷ってたら、

「本当に縁があるから、こうして偶然に会えたんだと思う」

彼はまた、そんなことを言って私を悩ませた。

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