曖昧 me mind 2

vol.56 ページ14

side 薮



手術室のランプが灯ったのを確認して、俺は目を瞑って深く息を吸い込んだ。
ぎゅっと手を握って、そしてゆっくりと目を開く。


今、この扉の向こうで彼は戦っている。
だから俺も、戦うと決めた。



すぐ目の前の椅子にはご両親が座って無事を祈っているのが見える。
そこから少し離れた場所、だけど決して手術室から離れていない場所。
そこを選んでそっと椅子に座った。


そして持ってきた鞄の中から一冊のノートを取り出して、左手にペンを握る。
別に何という動作でもないのに、うるさいほどに心臓が音を立てている。
扉の向こうでは手術の為に心臓の動きを一時的に止めた君に反して。



その心音は規則正しく、そして煩さを増して鳴っていた。
大丈夫、大丈夫だ。
何も恐れる事はない。
焦る必要なんかない。



もう一度深く深呼吸をして、そっとノートにペンを走らせる。



思えば伊野尾と出会ったのはまだ春のことだった。
あの頃の俺はきっと今までで一番調子が悪く、周りの環境と過去の自分に縛られて身動き一つ取れやしなかった。


そんな時の唯一の支えだったのが自分で開設したブログ『青空日和』だった。
何気ない日常を誰の目も気にせずに好きなだけ語ることが出来る。
その安らぎの場所があったから、俺はきっとギリギリ潰されずに済んだ。


そこに伊野尾がアオという名前でコメントを寄せてくれた。
今思えばこのコメントがなければ、今はきっとあのブログもやめてしまっていたのかもしれない。


自分でも何となく分かっていた。
あのブログを書いているのは偽りの自分であって本当の俺じゃない。
自分の良い部分にだけ光を当てて、悪い部分は徹底的に取り除いたもの。
いわゆる、理想の自分。



いくら理想を掲げたって、それは理想でしかなくて。
決して理想のその上を行くことはないと分かっていても理想に酔う事はやめることができなかった。



現実逃避、と言えば聞こえが悪いかもしれないがそれは決して間違いではない。
現状の自分が嫌いで、本当の自分はこうじゃない、と悶えて苦しんで。
それでも結局、自己満足で終わっていた毎日に嫌気が差して。



そんなどうしようもない毎日に手を差し伸べてくれたのは、伊野尾の方だった。

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