第十九話 二人の馳せる想い ページ35
「副長。」
広場から去ろうとする土方を、斎藤が呼び止めた。
「どうした、斎藤。」
「Aは…副長に、何か言っていませんでしたか。」
土方は斎藤をじっと見つめた後、「やっぱり気になるか」と相好を崩した。
「あいつは、始末屋の仕事を辞めるらしい。」
「それは、本当ですか。」斎藤が目を見開く。
「俺が嘘つく理由なんてないだろ。」
土方は苦笑すると、「追いかけねぇのか？」と斎藤に問いかけた。
斎藤は視線を泳がせた後、顔を俯ける。
「追いかける資格など、ありません。」
＿＿＿＿止めることすら、できなかったのだから。
「まあ、あんまり気負うんじゃねぇよ。あいつもいつかまた、顔出しに来るだろ。」
土方は斎藤に背を向けると、軽く手を振りながら広間を出て行った。
斎藤もその背中を暫く見つめたあと、広間を出た。縁側を歩き、たどり着いたのはAが使っていた部屋。
意識的に向かっていたのか、無意識なのか、それすらもわからない。
ただ、取り散らかった思考をどうにかしたかった。
襖をそっと開けると、がらんとした部屋の空気が広がった。元から物は多くなかった筈だが、雛がもう此処には戻ってこないのだと思うだけで、寂しい雰囲気を感じる。
襖をそっと閉じて、溜息を吐いた。
斎藤の頭の中で、最後に聞いたAの言葉が再生される。
『さようなら、斎藤さん。』
Aは笑っていた。今にも崩れそうな笑顔で。
最後に、触れるだけの口づけを残して。
Aの柔らかい唇の感触は、未だ斎藤の唇に居座り続けている。そして、きっと忘れることなどないのだろう。
＿＿＿＿惚れていた。彼女に、本気で。
今更気がつくなんて、遅すぎる。
遅すぎて、笑うことすらできない。
土方はああ言ったが、斎藤はもう二度と戻ってこないと確信していた。だから、口づけをした。だから、“さようなら”と告げた。
どうしてあの時、引き止めなかったのか。
どうしてあの時、抱きしめてしまわなかったのか。
部屋の真ん中に、浅葱色の隊服が綺麗に畳んで置いてあった。もう、彼女が残した残骸はこれだけだ。
壁に寄りかかって、力なくずるずると座り込む。彼女を抱きしめることすらできなかった、役に立たない腕で、顔を覆う。
やりどころのない後悔だけが、斎藤の心を満たして行った。
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作者名：雛菊 | 作成日時：2015年10月12日 23時
