友 ページ46
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「…そしたら、係の者がお部屋までご案内致します。ロビーでお待ちくださ……、いっ?」
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朗らかな老夫婦のチェックインが終わり、ふとフロントに目を遣った相葉は、驚愕した。
「ん?なにか?」
「いや…いえいえ、すみません。ロビーでお待ちください」
白髪の上品なご主人に、誤魔化しの笑みを浮かべてそのまま、相葉は受付から出る。
フロントは、これから湯めぐりに向かうカップルや、チェックインを済ませた家族などで、平日の夜にも関わらず多くの人で賑わっていた。
皆、一様に、ゆったりとした動作でそれぞれの休暇を愉しんでいるようであったが、その人ごみをぐるりと見渡したとき
ひとりだけ、いっとう、動きが遅いのが居た。
「お…、えー…っと……お客様」
隅の方で、背中を丸めてモタモタと下駄を脱いでいる(あのつっかけを脱ぐのにモタモタなどあるだろうか)のをとんとんと叩くと、その人はぴくりと身を竦めたのちに振り向いた。
「…大野さん、フロントはダメですっ」
きょとんとしている大野に、ほとんど囁くようにして相葉は言った。
「人が居るから…出入りは非常口でって言ったでしょう?…とにかく早くお部屋に……」
早口に言ったのを遮るように、大野が相葉の手を取って、手のひらを上に向ける。
そこに、とん、と指を立てた。
【あんまり熱くて】
そこまで書いて、ぱっと顔を上げ、目を合わせてにっこり笑う。
相葉は、さらに目を見開いた。
やんわりと持たれた手首に、ぽかぽかとした体温を感じる。
手のひらに文字を書かれることに慣れていないと、聞き逃してしまっているだろうと思った。
【のぼせちゃったよ】
今度は少し恥ずかしそうに眉が下がる。
(…わ、笑った……)
相葉は何も言えなくなってしまった。
大野の笑顔は、ゼリーかプリンか、こんにゃくか、熟したフルーツか、何でもいいけれど、とにかく『くにゃり』と崩れるような、柔らかいものを連想させた。
とてもじゃないけれど、と相葉は思う。
とてもじゃないけれど、怯えること以外では、しんと動かない水面のように表情を変えなかった大野が、こんなふうな笑顔を隠し持っているとは思えなかった。
大野は、それだけ伝えてしまうと、ぺこりと頭を下げて、さっさと離れに繋がる庭に出て行ってしまった。
フロントにしばらく立ったまま、触れていた手首が冷めるのを
相葉はもったいないような気分で、じっと見つめていた。
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きんにく(プロフ) - 律さん» 律さん!こちらにも来ていただいて本当に幸せです〜ありがとうございます(泣)ご期待に添えるようなお話が書けたらなと思います! (2021年1月8日 11時) (レス) id: d7e5080941 (このIDを非表示/違反報告)
きんにく(プロフ) - はるさん» はるさんはじめまして!お越しいただき誠にありがとうございます。そんなふうに言ってもらえて幸せです♪がんばります! (2021年1月8日 11時) (レス) id: d7e5080941 (このIDを非表示/違反報告)
律(プロフ) - やっぱりきんにくさんの小説が大好きです!癒しです!続き楽しみにしてます! (2021年1月6日 19時) (レス) id: 820f2de8f4 (このIDを非表示/違反報告)
はる(プロフ) - きんにくさん、初めまして。素敵なお話ありがとうございます。これからも楽しみにしています。 (2021年1月6日 11時) (レス) id: 6cd0f843d6 (このIDを非表示/違反報告)
きんにく(プロフ) - satominさん» satominさんありがとうございます♪毎度毎度、恐縮でございます。おおお…私が読んでる本は暗くて長くて素敵な本です(笑)その人たちみたいに書けたらなあと思いながらなかなか…な日々です(笑)嬉しいことを聞いてくださってありがとうございました♪ (2020年12月28日 23時) (レス) id: 3c003d42b5 (このIDを非表示/違反報告)
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作者名:きんにく | 作成日時:2020年10月19日 16時