十二月三十一日記憶の煩悩 ページ1
ーーゴーン
重々しい音が不意に鼓膜を揺らした。
聞き慣れない深く響く音に、この音は何だ、何かの合図かと首をかしげながら自分の横に座る男を見上げる。
視線を感じた男は僅かに微笑みを浮かべて言った。
「ああ、除夜の鐘ですね」
「……じょやのかね？」
返されたのは初めて聞く言葉で思わず反芻する。
「そうです。この鐘は大晦日の夜中に百八回鳴らされ、その百八というのは人間の煩悩の数、すなわち怒りや悲しみなどの人の心の乱れを表しているのです。除夜と言うように、一年間感じたそれらを全て取り除くために鳴らしているそうですよ」
男は得意気に話す。喋り方もいつもより饒舌だ。
「……へー」
相変わらず物知りだなあなんて思いながら、適当くさい相槌を打って満月の輝く夜空に耳を澄ませる。
ーーゴーン
しばらくするとまた遠くから、鐘の音が聞こえた。
さっき聞いた音と変わりは無いけれど、そんな意味を知ったあとだからか、何かが一つスッと消えていった気がする。
あれ、でも。
「怒りとか、かなしみとか、それが全部悪いものでも無いと、俺は思うけど」
嬉しいのも、楽しいのも。それがなきゃ、分からないと思うから。
「ふふ、確かにそうかもしれません。それじゃあ人は家族も、友人も、大切な人にも抱いた感情を、忘れてしまいますからね」
男がそう言った瞬間、木々を静かに鳴らしながら夜風がさあーっと吹き抜ける。
冬の北風が頬を冷たく撫でていく。ぶるりと体が震えた。そうか、忘れてしまうのか。
ーーゴーン
夜の闇に鳴り響く、鐘の音。
きっと鳴らしているのはこの近くでは無いだろうに、頭のてっぺんからつま先まで、それははっきりと、じわじわ沁み渡っていく。
来年もこの音が聴けるだろうか、と隣の男に視線を移せば。
その横顔はどこか哀しげで儚くて。
それでも淡黄檗の髪とその表情は、月の光に照らされていて、とても、美しいと思った。
ーーゴーン
それは、遠い遠いひと夜の記憶。
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作者名：シチ副長 | 作成日時：2018年1月4日 19時
