【文スト】虫愛づる花嫁【小栗虫太郎】

37　ムシクイ ページ37

目の前のAを見据える。


　いや、でも、だって、


　本当に、そんな素振りはなかったのに。


　まだ奴の方が、


　腹を押さえたりして、
　判り易かったから。


「..................」




　やっと、


　人で居られると、思ったのに。




「............」


　彼女が喋っていなければ、
　彼女が笑っていなければ、
　彼女が触れていなければ、
　彼女が起きていなければ、


　生きた心地がしない。


「............」


　俺は生きる為に、
　此処に来た筈なのだ。




　でも、今は死にたい。




　彼女が笑い掛けてくれない世界なんて、
　滅んだ方がマシである。


「............」


　嗚呼


　どうしたらもう一度、彼女に会えるのだろう？


「………………」


　奴には、
　密室に行けば、会えた。


「密室」


　然し彼女に会える確証は無い。


「…………」


　徐ろに立ち上がり、一歩踏み出す。


　広く豪奢で、塵一つ無い屋敷。
　独りだと更に広く感じる。
　足音が妙に響く。


　前はどこに居ても、直ぐに駆け付けられたのに。


「…………」


　扉を開けると、其処には書斎が広がっていた。


　アンティーク調の机の上には原稿と、墨とペンと、本。


　其の本。


　先日彼女が触れて、
　共にあの世界に旅立った本、



　......ではないか？



　何故俺の行く先にあったのか？
　何故其れを思い出したのか？


　ふと気付くと、手紙が置いてある。


「............」


　開けると、
　中は。




『 やあ虫太郎君

　君がこの手紙を読んでいるという事は』




　ビリッ


　びりっばりっびりりりり




　その手紙を破り捨てた。


　何と書いてあるか分かったから、
　無性に腹が立ったから。


　あぁ、


　あの時と同じ部屋で、
　あの時の彼女の様に破いた。


　違う感情で。



『君だけの本だ』
『しっかり、真実を』


　という文字が見えた。



「……全く、要らん世話を焼く奴だな、探偵屋は」


　卑しき鬣犬め。
　ああ、無性に腹が立つ。



“お風呂場は、えーっと、其処を右に……”
“館の主である御爺様が……”



　ああ、


　そういう事だな。




　あれは、彼女のーーーー

　


「..................」


　私は探偵ではない。
　真実なんてどうでもいい。



　だが、
　本を読めば、



　それはきっと推理小説だが。



　彼女に、繋がる筈だから。


「…………」


　蝶ネクタイを締め上げて、
　その本に、触れた。

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