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彼女が指す『あの人』というのが、
一体誰であるかは、何となく察しがついた。
…けれど、今からどれだけ修行を積んだとしても
紫が彼のような剣士になれる日など、来る筈もなく
『…紫、考え直しなさい。』
『あなたには…長けているものが他にあるでしょう。』
『剣士にならずとも、人を救う事は___』
目の前の紫に対して、そう言葉を掛けるものの
『出来ませんよ、』
『少なくとも…今のままだと、しのぶさんの事は救えません。』
紫は私の言葉を遮るようにして、はっきりとした口調でそう告げる。
『…カナエさんが亡くなってから、しのぶさんは…心の底から笑った事がありますか。』
『取り繕った笑顔を貼り付けて…私達に心配を掛けないようにと、無理をしていませんか。』
『私は…もう、何も出来ず…あなたのその顔を見ているだけでいるのは、我慢出来ません…。___』
そう告げた後、紫はゆっくりとその場へ立ち上がり
『あなたは…カナエさんの仇を取って、全ての鬼を滅するまでは…心の底から笑う事なんて出来ない…、そうでしょう?』
『だから、私は…剣士になって、いつかあなたを…苦しみから救ってみせます。』
決して淀む事のない瞳で、私の姿を捉えた後
紫は付け足すようにして、ふたたび口を開き
『しのぶさんだけでなく…私はあの人の事も救ってみせますよ…。___』
呟くようにしてそう告げたかと思えば、紫は此方へと視線を向けて
『…今から育手の下へと向かいます、』
『しのぶさん、またいつか…会えるといいですね。』
蝶の髪飾りを畳の上へと置いたまま、
紫は背を向け、部屋の襖へと手を掛ける。
『(待って…行かないで…、)』
きっと貴方は…剣士にはなれない。
私のように身体も小さく、力も弱い。
仮に…なれたとしても、貴方はすぐに死んでしまう。
私はもう、何も失いたくはない。
だから、お願いだから…貴方はずっと此処に___
気づけば私は、立ち去る紫をどうしても引き留めたくて
『紫…あなたに鬼殺なんて、出来る訳ないでしょう!』
彼女に初めて、手を上げた。
頬を叩かれ、紫が少し驚いたような様子で俯く中
『(…あ…、…)』
手を上げた私自身も、内心驚いており
その日、彼女を叩いた手の痛みは…しばらく消える事はなかった。
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作者名:雫 | 作成日時:2023年11月1日 0時