弱 者 情 事。【芥川龍之介】

２９･案じる/代わり ページ32

眠い。



昨日は疲労が溜まっていた上に帰宅するなり就寝したと云うのに、何故かその眠りは浅かった。

寝る前に余計な考え事をした所為だろうか。今朝は悪夢を見た後のような、不快感のある寝覚めを迎えた。



斯くして卓上の書類が白いままで時間が経過していくのは、仕方の無い事だ。マフィアにも一般会社員と同じように事務仕事に追われる時が有る。

違いはそれを怠り続けた結果、馘首(物理)になると云う事。



部屋には珍しく私以外に誰も居ない。

組合との……否、組合と探偵社との衝突で遊撃隊の人員は粗方出払っているようだ。銃弾をばら蒔くしか能の無い私は独り悲しく事務仕事。


尤も探偵社と本格的な対立状態にある今は、それは有り難いのかもしれない。何と云ったって、太宰さんが敵に回るのだから。




｢……太宰さん、か」



誰も居ないのを佳い事に小さく呟く。


が、其れは間違いだった。






｢──太宰さんが如何かしたか」





声の方へ振り返れば予想通り、あいつが立っていた。

声を掛けられるまで相手の存在に気づけないとは……マフィア失格だと太宰さんに嗤われるだろう。


｢別に。何しに来たの」



何処と無く気まずさを覚えて視線を外す。思えばそいつの目を真っ直ぐに見た事は余り無い。
本人は認めないだろうが、何となく太宰さんと重なって見えて苦手だ。




｢無論、次の任務の下準備だ」



恐ろしく短く簡潔に答えると、私の卓上の書類にちらりと目を遣り、それから呆れたような吐息を零した。

その溜め息の吐き方さえもが誰かと重なり、つくづく自分の愚かさに此方が溜め息を吐きたい気分になる。




｢その報告書、未だ仕上げて居なかったのか」

｢……五月蝿い」



どうせ私は報告書の一つもろくに仕上げられない愚物だ。半ば自棄になりながらふん、と鼻を鳴らす。



｢それより、アンタそんな身体で組合と殺り合う積もり？」



こいつには学習能力と云うモノが無いのか。少し前まで意識不明の重体だった事を自重して居ないらしい。


何時もそうだ。

何度死にかけても悔い改めない。無茶でも闘う事を止めない。まるで闘う事が生きる事と同義だとでも云うように。


太宰さんはもう居ないのに。




｢……お前が僕の身を案じるとはな」



暫くして反って来た返答。

何処か自嘲の響きを感じたそれに私が口を開きかけると、それより先にそいつが言葉を続けた。








｢それは僕が、太宰さんの代わりだからか？」

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