閏う夏の歩き方/米屋陽介 by 常盤千歳 ページ25
8月31日、早咲きの幽霊花が夏の終わりを告げた。夏は終わったよ、夏は死んだんだ。
永遠に続くかとも思われる廊下を歩いて、ひとつの扉の前で立ち止まった。
この瞬間だけは、このただの木製の扉が牢獄の入り口のような心持ちがする。仰々しく飾りたてられているわけでも、錆び付いてボロボロになっているわけでもないのに、それが放つ雰囲気はどこか禍々しい。
おれは息を飲み込んで、静かに扉をノックした。
「A」
緊張して震えたような声で名前を呼んだ。こんなことはもう何度も繰り返しているのに、この扉の向こうの彼女を思うと、何故だか鼓動が早くなって、喉の奥が腫れ上がる。手も震えて、うまく呼吸ができないのだ。
返事はない。
目の前に佇む無機質なドアが、廊下の静けさを際立たせた。この先で、まだ彼女は生きているんだろうか、彼女はもしかすると__
脳裏に過ぎった嫌な想像を振り払うように、ひとつ瞬きをして、ドアノブに手をかける。
ガチャリ、扉が開く音が、不気味な寂寥を引き裂いた。
電気のつかない、カーテンも開かない薄暗い部屋。廊下の明りが差し込んで、この部屋の惨劇を明るみにした。
不気味なほどに整頓された家具や物たちは、死んだようにじっとこちらを見つめている。
ただ一つ、その秩序からあぶれたように、床に落ちたままの写真立てがものがなしさを語っている。オレはそれを拾って、棚の上に戻してやった。女と男が、幸せそうに笑っていた。そんな光景さえも、この部屋の
なかでは痛々しい傷跡に変わってしまっていた。
扇風機だけが首をもたげたまま、夏の終わりを知らないみたいに動き続けては、この部屋の中に風を吹かせて何度も同じような音を立てる。
夏はもう死んだよ。
部屋の真ん中には、じっと蹲ったまま動かない人影がある。なにが大事なものを守るように、膝を抱えて、そこから一歩も動かない。オレが来たことにも気づかないようで、何かを口にすることもなかった。
扇風機の風に揺られた髪と、一度だけの瞬きに、まだこいつが生きていることを実感した。
よかった、よかった。
Aはまだ生きている。先程脳裏に過った不気味な想像が、オレのただの妄想でよかった。
「A」
オレはそいつの前に蹲み込んで、また名前を呼んだ。
合わせたはずの目線の高さも、俯いたままの顔では交わることはない。
当たり前に返事はなかった。
数ヶ月前からこうなのだ。Aの師匠が死んだ、その時から。
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作者名:常盤千歳 x他6人 | 作成日時:2020年8月25日 10時