10【兵長は潔癖症】 ページ12
その小さな呟きは聴こえなかったらしく、彼は淡々と「久し振りだな」と言ってくる。
すると、向かいの兵長が背もたれから身を乗り出して、背後のエレンに声を掛けた。
「おいエレン。てめぇが今飯を食っていると言う事は、掃除が終わったと言う認識でいいんだよな?」
「っあ、はい!ちゃんと中庭の雑草は、残さず全て掃討致しました!」
兵長が怖いからなのか、声が裏返っている。だがエレンの良い報告に頷くだけで、そこは言及しなかった。
「ならいい。早く食って、次の掃除に取り掛かれ」
しかし、彼の今日の一日は掃除で終わりそうなのだった。そしてやはり、兵長は潔癖症だ。
これから気を付けようと思う反面、これから掃除を任される事もあるのかと顔を顰める。
別に掃除は嫌いでもなく、どっちかって言うとできる方だ。――ただ面倒くさいから、前まで執事にやらせていただけで。
兵長の次の指令に「……はいっ!」と、若干間が空いたものの、忠犬の如く返事をする。
そして彼の意識が私に移ったところで、いつものように笑った。
「お久し振りです、先輩。あのあと無事に部屋に戻れる事ができました。ありがとうございました」
「そっか、戻れてよかったな。……先輩?」
いつの間にか自然と呼ばれていた敬称に首を傾げる。彼の疑問をいち早く察し、顎を引いて応えた。
「はい。だって先輩は第104期生で、私の一つ上の直属の先輩みたいなものでしょう?」
「まぁ……そんなもん、だな」
言葉が濁っており、いまいち歯切れの悪い返事だ。内心「ふざけんな」と舌打ちをする。
ならば、と彼の僅かな良心に突け込むのが私のやり方。上目遣いにエレンを見上げ、可愛らしく尋ねる。
「あの、もしかして嫌ですか?私、馴れ馴れしかった……でしょうか?」
後輩の上手い演技にたじろぎ、エレンは首を横に振る。困ったように眉を下げ、面倒くさげに後頭部を掻いた。
「あーっと、嫌な気はしねぇ。だから、別にそう呼んでくれてもいい」
彼がまた曖昧な言葉を口にしたのは、周りの視線が問題だろう。
貴族の新兵と喋ると目立つ。そんなわかりきった事を、天然なのかわざとなのか知らないが、彼はやっているのだ。
あとは―――さっきから私達三人を殺さんばかりに睨んでいる、女の兵士の視線。
黒髪を首丈に切り揃えた、彫りの深い顔立ちの美人。その首には季節外れの赤いマフラーを身に付けている。
目尻が垂れている黒瞳がスッと細められ、何か不審な動きをすれば殺す、と言う決意が垣間見える。
ちょうどいい、彼女も利用しよう。
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