一曲目 ページ2
ピアノのために短く切られた爪が鍵盤を叩く。
――「僕らが巡り会えたのは、奇跡だ」
一つ一つ音を出すたびに、記憶が巡られていく。
まるでページを捲っているみたいに、鮮明にあの人の顔を思い出す。
――「君の音色、すごくきれいだね。 ずっと聞いていたい」
…E♭
――「その髪の毛、好きだな。 柔らかくていい匂いだ」
…F#
――「A…好きだよ」
「…ッ」
手のひらを極限まで思い切り開いて、両手で鍵盤をたたく。耳障りな不協和音が、びりびりと鼓膜を揺らした。
自然と息が荒くなって、自分の吐息とピアノの音色の名残だけが部屋に響く。
「嘘つき……」
すっと音もなく両手を定位置につかせる。
私が演奏した曲の中で、彼がもっとも好んだもの。楽譜はいらない。彼のためにすべて覚えた。
右手の2をB♭、左手の5をD♭に触れさせ、あとの指はそれぞれ隣り合った鍵盤に触れる。
そして、深く息を吸い込んで鍵盤を押した。
「嘘つき……嘘つき……嘘つきっ……」
口からは呪いのように言葉があふれ出る。
言葉を発するたび手元の集中が途切れ間違った音を奏で、何度も不協和音が聞こえた。
それさえも気にならないほど、私は言い知れぬ気持ちに任せて鍵盤をたたく。
どれだけ力を籠めても、ピアノから流れる音色は綺麗なままだった。多少荒々しく音は大きけれど、それでも曲の音は同じだった。
ぐちゃぐちゃにしてやりたい。
私の力でこの音色を、不協和音にしてやりたい。
そんな破壊衝動が自分を襲う。
「貴方なんて嫌い……大嫌い！」
再び鍵盤を乱暴に、だけど今度は拳で叩いた。
バァン……という衝動ともう聞き慣れそうな耳ざわりな不協和音。
いつの間にか目には涙の膜。
それはいつしか目から溢れ、零れ出し私の膝を濡らした。
誰もいない部屋。
孤独な部屋。
静けさが嫌で、この部屋に帰るたびにピアノで紛らわしていた。
でなければ、時折この部屋に訪れていたあの人のことを思い出してしまいそうだった。
ピアノの椅子に足を引っかけ、膝を抱く。
その拍子に、一筋の涙が左目から流れ頬を濡らした。その涙が頬を伝う擽ったさに目を閉じれば、今度は右目からも一筋の曲線が描き出される。
「……言ったクセに」
愛してるって
僕には君しかいないって
ずっと一緒にいようって……
「……言ったクセに……嘘つき……」
自分の声が部屋の中に反響していく。
それが逆に孤独感を誇張した。
「…………どこにも行かないでよ」
……ロキ。
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作者名：始まりの神 | 作者ホームページ：
作成日時：2016年7月1日 1時
