燐寸7 太宰side ページ8
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彼女に僕が映らない。
「森さん」「森さん」「ねぇ森さん」
すてき、と口が動くのを見てしまった。
ねぇ、僕は?
無防備に眠る彼女の髪を一房掬う。
Aは一度深く眠ると起きない。
地震に気付かなかった時はそんなものかと思ったけれど、流石に近所の爆発音には反応しなくてはならないと思う。
「…早く起きてよ」
幾ら眺めていても逃げられないから、今この瞬間は好きな時間でもある。
でも矢張りその瞳に僕を映して欲しい。
「…怒るけれど、君が悪いんだよ」
だって目覚めた時にしか僕の顔を見てくれない。
それも僕だと視認したら直ぐに視界から外す。
森さんにはあんなに笑い掛けるのに、僕には愛想もない。
あぁ、けれどひとつだけ。
唯一、彼女が僕に微笑んで呉れる瞬間がある。
世界が縦に揺れた。
突如として吹き荒れる風の暴力に、姿勢を低くして顔を覆う。
「……っ、」
思わず彼女の名を呼びそうになって唇を噛んだ。
車を降りて、後ろには広津さんもいたのに振り返れば居なくなっていた。
森さんに頼み込んで漸く一緒に出掛けられると思っていたのに。
Aが居ないなら行かないと言った時に見せたあの困ったような笑みは、若しやこうなる事を想定していたからだろうか。
話が違う。
「…そして、こっちは」
吹き飛ぶものは粗方吹き飛んだようで、腕を顔の前から外す。
押し寄せる猛風の中心で、黒炎を背に先代ボスが嗤っていた。
先代ボスは"病死"した。
しかし今此処にいる。
それはすなわち。
「…黄泉帰ったんだ」
地獄の底から、地獄を引き連れて。
「ぐ、っ_」
黒炎が膨れ上がり、呼応して風も強くなる。
外套が煩いくらいにはためき、片足が一瞬浮いたと思えばもうそれは空を飛ぶ一歩だった。
風に体が持っていかれ
「異能力」
吹き荒ぶ風のなか耳元に届く彼女の声。
いつの間にか背後に居たAに抱き留められる。
回される腕には力が込められていて、少し背中は硬いけれど、柔らかい良い匂いが鼻腔を擽る。
真横にある彼女の顔に浮かぶ笑みは見惚れる程美しく、円弧を描く唇からは言葉が紡がれる。
『魔女の槌』
火柱が上がる。
先代ボスを呑み込み風をも燃やし、揺らぐどころか炎の柱となって天へと上る。
僕を掴んだまま能力の行使を終えて、Aは僕を見上げて来た。
上目で、微笑んで。
「無事で良かった」
無事じゃないから、もっと僕を見て欲しい。
「来るのが遅い」
僕から離れないで。
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作者名:梦夜深伽 | 作成日時:2020年10月28日 0時