獄都商人 (ページ29)

今日:1 hit、昨日:2 hit、合計:2,900 hit

にじゅうはちページ29

｢旦那様。行商の代々木が参りました。｣

普段は女中をしている妾の1人が私を座敷まで案内した。

｢ああ、代々木かい？良かった。あまりに連絡が来ないから、もう、ここには立ち寄らないんじゃないかと思っていたよ。さあ、こちらにお座り。｣

スーツに身を包み、長い黒髪を後ろでひとつに緩くまとめ、穏やかな笑みを浮かべるこの青年こそが、2代目箕輪屋吉兵衛である。本当に、顔は良い。顔だけはいい。でも正直斬島の方がいい男だと言いたくなってしまうのは、多分この食えないかつ女好きな性格に由来する想いだと思う。

｢お久しぶりでございます。吉兵衛様。毎度、ご贔屓にして頂き、有難う存じます。｣

畳に正座をして頭を下げると、吉兵衛は満足気に笑い、｢顔を上げてください｣と言う。

｢早速ですが、頼んでいた商品を、ここにお願いします。｣
｢はい｣

籠の中から、紙に包まれた着物を四着取り出す。
自分が人型だからか、彼は人型の人として美しい女を好む。着物が仕立てやすくなるので、助かるのだそうだ。
四着の着物は、それぞれに色が違う。個人の好みと合う色を仕立て屋が考察した結果だそうだ。全く誰が誰だが分からないので、カンペを用意してもらった。

｢こちらの椿の着物が桜紅様、こちらの藤の着物がみはや様、こちらの桜の着物がカスミ様、こちらの躑躅の着物がキサミ様になります。｣

一応、正妻である桜紅様のみ金糸銀糸を使った派手なつくりになっている。それは間違えないが、他の人が全く区別がつかない。見ればわかると仕立て屋は言っていたが全く分からない。

｢ご苦労さま。ごめんね、最初に着物の紹介なんてさせちゃって。この後、一緒にお茶でも飲みに行きませんか？｣
｢結構です。｣
｢そうですか。では近くの小川の辺りで今美しい花が咲いています。一緒に見に行きませんか？｣
｢結構です。｣
｢残念です。｣

少しも残念ではなさそうな顔で奴は言う。腹が立つ。こいつは私が人に誘われるとどうしても行かなければならないような気がしてくるのをからかっているのか、毎度毎度、必ず声を掛けてくる。大店のお坊ちゃんが流れの行商と一緒に歩いているのが、どんな噂になって肋角さんの元に届くのか、考えただけでおぞましい。