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「妊娠?」
思いもよらない単語が飛び出して、思わずフリーズしてしまう。
でも思い起こせば、保健室でも何度か聞いた話だった。
私が、しっかりしないと。
「何も、言えなかった」
「そりゃそうだ。誰だって驚くよ」
「こんなところで、妊娠がわかったら怖いよね」
その場から離れて、また探しに行こうとする江口くんを萱島さんが止めた。
「小春に言われた時、俺が何を思ったかわかる?父さんに怒れられる。こんなとこにまで来て父さんって」
苦しそうに自分自身を嘆きながら、その場に座り込んだ。
「もうどうしようもないよ、ほんとに。そんな俺が透けて見えたんだよ、小春は」
その時、雨が降り出した。
自然と視線が空へと上がる。
「どうしようもない話なら俺にもあるよ」
萱島さんは江口くんの隣に座ると、思い出すように語り出した。
「魚焼いてたんだ。あの日も雨だったなぁ」
料理中に家のチャイムが鳴り出ようとすると、名前を呼ぶ声がした。
それは、自分たちを捨てて家を出た母親の声だった。
そして、萱島さんは開けないという選択をした。
一度裏切られた傷は絶対消えない。
その痛みは知っている。
私は、元彼が出て行った日のことを思い出した。
仕事も、築いた人間関係も、心も失いかけて、縋る思いで打ち明けたそれは、見事に受け止められずに姿を消した。
事の次第が落ち着いてきた頃に、一通連絡が入ってたっけ、
『久しぶり』
その一言は何を意味していたのか、謝りたかったのか、心配していたのか、それともこの後に及んでヨリが戻せると思っていたんだろうか。
私はそれを見た瞬間に、削除した。
その時の虚しい気持ちが、思い起こされる。
そして許せない私を責めてまた苦しむんだ。
なのに、懲りずにまた人を好きになってしまった。
そんな事を思いながら遠くを見ていると、奥の方で動く人影が見えた。
「小春ちゃん?」
「え?どこ?!」
「あっちの奥に、人が見えたような」
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作者名:藍 | 作成日時:2023年8月20日 22時