第九十五話 轟音 ページ8
「────云い残す事はあるか。」
『……そうだね、云い残す事か。』
そうだ。と───Aさんは微笑む。
子供のような無邪気な声で、顔で。
年相応な気がした。
子供のような無邪気さを身に纏っている。
見ているこちらが苦しくなるほどその笑顔は完璧だった。
『──────辻村さんの時は逃げたのに、どうして私の時は逃げない？綾辻先生。』
Aさんは囁くように呟いた。
その声はつん。とつついてしまえば全てが崩れ落ちてしまう、そう感じるほどに脆弱な声だった。
私は、理解が出来なかった。
だってあの時、あの妖術師との対決の時、綾辻先生は私のために逃げたのでは無かったから。
でも、本当はそうだとしたら？
考え込んでいると自然に下を向いていた顔を上げて、先生の顔を見た。
綾辻先生は黙っている。眉一つも動かさずに。
だが、目ではっきりとAさんを見つめていた。
Aさんは、その目を見て一瞬揺らいだ。
瞳は下を向き、目が潤み…そして、唇を噛む。
溢れる雫を零さまいと、ゆっくりと目を閉ざす様子が、今までで1番判り易かった。
『……そうか。』
しかし、互いに何を思ったのか。
雲の上の存在である2人の心情は理解し得なかった。
声をかけようと、口を開いた刹那。
決別の時間が訪れた。
─────何かにヒビが入る音。
Aさんの足元だ。地表にヒビが入っている。
「Aさん！！」
坂口先輩の声だ。
こんなに焦っている先輩の声を、私は初めて聞いたかもしれない。
あぁ。
今度は本当なんだ。
漸く、感情がストン、と収まった気がした。
『……君らのお陰で生きる意味を見つけられた気がする。感謝するよ。』
いつもの笑顔。
自信に満ちあふれた、私に任せろとでも云うかのようなそんな顔。
Aさんは云った。
滝の轟音が響いているのにも関わらず、次元が異なるかのように。
その音は阻害されずに、芯のあるはっきりとした声が、こちらに届いた。
─────綾辻先生。愛していた。
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