【派生作品】浅緑【雨粒に溶けるまで】

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小説の方を使う程ネタが溜まっていないのでこちらで。
このキャラクターのちょっとした過去話になります。

　物心ついた時から雨が降っていた。
この雨は不思議で、当たったものを溶かしてしまうという。
それは当然人間も例外ではなく、ぼくも溶かされてしまうらしいのでシェルターの外に行こうとすると怒られた。

　もしかしたら、もう溶けてしまった方が幾分楽になれるのかもしれない。
今はそう思う時もある。

＊

　着物職人の父と、父を陰から支える母さんの元にぼくは生まれた。

　父は気難しい人で礼儀作法についての話をよくしてくれた。
礼節を重んじ相手への敬意を表すことは何より当然のことだ、と。
自分自身を差し出して信頼を勝ち得ろ、他人に対して多く差し出せ、と。

　ぼくはその話を聞くことが大好きだった。
いつも子供にさえ厳しく教育をしている父が、今では着る者の少ない着物を作り続けている父が、ぼくと向き合ってくれる時間だったから。
雨によって仕事──生きる意味を失くしかけた父が垣間見せる“父親らしさ”。
それに触れ合えるから、大好きだった。

　そういえば、哲学に関する本もよく読んでいた。
「中身は伴わなくても良い、形だけでも整えれば結果的に幸福に辿り着く」とはその哲学者が遺した言葉だとか。

　話の中にもその哲学者の名前を出していて──あれ、誰だったかな。

　母はそんな難しい父を支え受け入れ、同時にぼくに愛情を注いで育ててくれた。
ぼくのこの性格や容姿はほとんど母から受け継いだものだと思う。
父親との距離感が掴みきれないぼくを仲介してくれる存在であったから、正直なところ母がいなければきっとこれほどまでに父親を尊敬することは無かっただろう。

　ともあれ、何よりも深い愛情を持ち合わせる優しい人だ。
ひとりで泣いていればそっと抱き寄せて頭を撫でて落ち着かせ、どうして涙を流していたのか、共感して受け入れる。
子供の負の感情に目を背けるのではなく、きちんと向き合える。
そういったところに母の強さを感じさせた。

　ぼくが幼い頃は、良い眠りにつけるようにと枕元で小さな物語を話してくれた。
その物語が大好きで、何度も何度もその話をしてくれるようせがんでいた。
話の内容は至って王道なもの。
ある村に勇ましい者がいたのだが……いたのだが──話の内容は、何であったか。

　少し覚えていないところもあるが、忘れるほど昔の記憶だからだろう。

　そして、ぼくの家族はもう一人いる。
姉さんだ。

＊

　避難しているシェルターは広いが、遊べるようなものなんて無かった。
退屈を持て余した子供がやる遊びなんて鬼ごっこかかくれんぼくらいのもので、どちらかといえば体力の少なかったぼくはかくれんぼの方が好きだった。
反対に姉さんは鬼ごっこが好きで、それに付き合わされるとばててしまう。
だからいつも先に帰っていたものだ。

　かくれんぼでは、たまに奥に入りすぎて迷って帰れなくなることがある。
薄暗いしどこに行けばいいかわからないしで、襲い来る恐怖と不安に頬を涙で濡らした。
そんな時にいつも見つけてくれたのが姉さんだ。

「……またこんな変な所にいた。帰ろう、鳥之介」

　薄暗いシェルターの中、やわらかい手を伸ばして微笑みかけてくれる姉さんの姿。
ぼくの思い出に一番残っている姿だ。

「うん」

　子供のぼくは姉さんの手をきゅっと握る。
そうして厳しい父と優しい母の元へ帰り、怒られてぼくが泣くまでが当時の一連の流れのようなものだった。

　姉さんは常にぼくの前にいて、ぼくは姉さんを後ろから追いかける。
ぼんやりとしていたぼくをいつも引っ張ってくれる、ぐいぐいと前へ連れて行ってくれる存在だ。
それが当たり前だと感じていた。
ずっと続くと思っていた。

＊

　さて、ぼくの姉さんは大変しっかり者だった。
利用しているシェルターの限界が来て、新しいシェルターに移動しなければならないという状況に陥っても──それは変わらなかった。

「鳥之介！　早く！」
「ま……待って、速い……」
「当たり前！　遅かったら溶けちゃう、あっ……ほら！」

　とにかく雨に当たらないように。
上着や廃屋の屋根を傘代わりに使いながら走っていくと……姉さんは一箇所を指さす。

「あそこに新しいシェルターがある、早く行って」
「え！？　行ってって、姉さんはどうするの！？」
「私はお父さんとお母さんを探しに行く！　だからそこで待ってて」
「だめだよ、姉さん！　ぼくも行く。危ないし、人手があった方がいいでしょう？」

　険しい表情の姉さんは首を横に振る。
ぼくの目を見つめ返し、ふと微笑みに顔をほころばせると、続けてこう言った。

「昔からさ、鳥之介が待っててくれるって思えば鬼ごっこだって頑張れたの。途中で帰っていたから知らないかもしれないけど、鬼ごっこはいっつも勝ってばっかりだったのよ？　ほら、姉ちゃんに任せなさい」
「…………」

　要するに気合いでなんとかするのだろうか。

　しかしこうなった姉さんはいくら制止の言葉をかけても無駄だ、ということも分かっていた。
頭では分かっていても受け入れたくないものの渋々頷く。

「分かった。待ってる。でもせめて上着を……」
「そうね、父さん達も身を隠せるものが必要だもの。じゃ、行ってくる！」

　ニッと笑って姉さんは駆けた。
背中を見ている暇もない、ぼくも早く避難しなければ溶けてしまう。
逃げながらもぼくは自分が使うことを想定していないところも姉さんらしい、とのんきに考えていた。

　そして、ちゃんと約束を守って帰って来てくれるのだろうと。

　けれど──姉さんも、両親も、ぼくの元にはまだ来ていない。

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