カクテルは錯覚する ページ4
ロシアの冬が作り出す空気は、容赦無くただの人間であるリーリヤから体温を奪っていく。彼女は裕福な家庭の出ではない。加えて現在の職は、決して売れっ子とは言えぬちっぽけな一人の作家。当然金に余裕がある筈もなく、コートやマフラーは全て古着屋で購入した安物だ。冬の初めならばまだ我慢出来るが、矢張り十二月の末ともなれば厳しいものがある。
だが、彼女は自身のそんな生活状況を特別悪いとは感じていなかった。こんな状態でも、遥か北に位置する広大なシベリアで肉体労働を強いられている人々よりはマシだろう。嗚呼、哀れなるガスパディン、或いはタバリシ達よ。一体この国は革命を経て何を手に入れ、何を失ったのだろうか。コートの綻びから冷たい風が侵入するのを両手で阻止し乍ら、リーリヤは裏路地の一角にある階段を降り始めた。
長年雨風に晒されて錆びた鉄の匂いが、ぷんと嗅覚を刺激する。この酒場は夜型の人間の為だけに作られたのかと思う程不健康で、それ故に居心地が好い。“спутник”の簡素な札が掛かった鉄扉を開けると、真っ先に燃える様な赤が目に入った。
「ああ、久しいな。リーリャ」
真っ黒なコートに身を包んだ彼女は、数ヶ月経ってもやはり子供と見紛う程の童顔を保っていた。ペチカの中で燃え盛る火の様な、濃い赤。リーリヤのプラチナブロンドとは正反対の赤毛を指で弄びながら、アナスタシヤは小さく手招きをした。
その誘いに軽く頷いて返事をし、丁度椅子に座ろうとしていた彼女の元へと歩み寄る。酒場の主人は相変わらず、片眼鏡の向こうのくすんだ瞳でグラスの状態を確認する事に夢中になっていた。ウォトカを、と彼に囁く様に告げて、リーリヤは背の高い回転椅子に腰を落ち着けた。
酒場内は酒が無くとも頬が火照る程、暖かな空気に包まれていた。暖炉の薪が爆ぜるのと共に、寒さで凍てついた肌がじんわりと溶かされて行く。薄っぺらいコートを脱ぎながら、リーリヤは右隣に座っている友人に語り掛けた。
「驚いたよ。まさか、学者先生がこんな時間に酒を求めているなんてね」
「そう、その事なんだ。大事なのはその事なんだよ」
強調する為にわざわざ同じ言葉を二度連ねたアナスタシヤは、そこで一度口を噤んで目を伏せた。右手の人差し指は、絶え間無く木製のカウンターを弾いている。
彼女のこの仕草は、何か大きな悩み事に苛まれている証拠。再び友人が話す気になるまで、リーリヤは店主から受け取ったウォトカを胃に流し込んでいた。
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十弧(プロフ) - ナ子さん» コメント有難う御座います。身に余るお言葉を頂けて嬉しい限りです…！殆ど好きだけで書き殴っているのでまだまだ至らぬ点など多々見られると思いますが、楽しんで頂けたようで作者冥利につきます。不定期更新ですが、これからも何卒宜しくお願い致します！ (2019年1月19日 15時) (
レス) id: f05eea04c6 (このIDを非表示/違反報告)
ナ子 - 読ませていただきました…こんなに面白い文章を書ける人がいたなんて…と少々驚いています。舞台となっているロシアについても細かく描写されていて尊敬します。これからも頑張ってください！ (2019年1月19日 9時) (レス) id: 5e3a342151 (このIDを非表示/違反報告)
十弧(プロフ) - 白林檎さん» コメント有難う御座います。そのような温かいお言葉を頂けて嬉しい限りで御座います…！一次創作は初めての試みで慣れない事もありますが、楽しんで頂けて幸いです。これからもご期待に添えるよう精進して参りますので、何卒宜しくお願い致します！ (2018年9月2日 18時) (レス) id: f05eea04c6 (このIDを非表示/違反報告)
白林檎(プロフ) - 初コメ失礼します。とても繊細な文章、作者様の語彙の豊富さが垣間見えるようです。占いツクールでこのような良作に出会えたことに感謝します笑 一次創作は中々売れづらいとは思いますが、応援しています。頑張って下さい！ (2018年9月2日 17時) (携帯から) (レス) id: b3533b2202 (このIDを非表示/違反報告)
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