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食後はデカフェ珈琲を飲みながら、まったりとした時間を過ごすはずだったが
この日はいつもと勝手が違う。
渡された英文訳のポイントついて、祥子から幾つか教を授けていた。
先ずは基本となる文法を復習がてらに確認し、その後は初めの一文を実際に訳していく。
続きは自分で―――と、祥子の部屋を出た七汐は、小さなため息と共に頭を抱えた。
そして、3階へと続く階段をゆっくりと降りる。
祥子との(仮)交際は、未だ公にはされていない。
他I-nfinity∞居住者との不必要な接触を避けるため、祥子の部屋から戻る際はタイミングを見計らって階段を使用するように努めていた。
だが、その日の七汐の意識は、手元の英文に注がれている。
一刻も早くそれを翻訳せねばという焦りが、他住居者の気配の察知を鈍らせていたのだ。
「こんばんは―――萩原先輩」
4階から階段を降り、玄関にカードキーをかざす七汐の背後から、低く抑揚のない声がかかる。
エレベーターホールを照らす常夜灯のオレンジが、隣の家前に立つ声の主を映し出した。
夜とはいえ、その顔を思い出せない程呆けてはいない。
昼間、アレルギー患者の申し送りを受けた、化学療法室看護師―――
「柏木―――?」
―――どうして、君が。
驚く七汐とは対照的に、柏木は辟易とした様子で頭を掻いた。
「どうしてと言われても―――。僕は、先輩が澪と別れる前から
―――まぁ。お互い本業あるからI-nfinity∞ではニアミスしてなかったか。
記憶を探る様に小首を傾ける柏木。
呆然とする七汐の元に徐に近寄ると、柏木は
「ああ。
3-Cの
昼間の様子じゃ、萩原先輩は僕の事知らなかったみたいですけど―――
お隣さんとして、よろしくお願いしますね。
萩原先輩?」
静まり返った3階のエレベーターホールに、抑揚のない低い声が木霊する。
向かい合った二人の男の間を
冷え切らない晩夏の夜風が 重く通り抜けた―――。
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