其の伍 ページ48
手拭いで目を覆い隠しながら長屋の方へ二、三歩歩くと、三木が「あっ」と声を上げ、次の瞬間私は何かにぶつかった。痛くはない。
「潮江先輩!」
「田村とAじゃないか?」
どうやら私は文次郎君にぶつかったようだ。なんと間の悪い…。
「どうした、気分悪いのか?」
「ううん、ちょっとね」
「察するに、Aさんは夏休み中に色んなことがあり、忍術学園に戻ってこの田村と話したことにより、安堵の涙が込み上げてきたものと…」
それだ。これは安堵の涙だ。
文次郎君は私の肩をそっと、しかし力強く掴み、尚も手拭いで目を合わせない私に問いかける。
「そうなのか?」
「うん。忍術学園のなまこ壁も、立派な門も忍たまも、とにかく全部懐かしくて、愛しくて、居候の分際なのに『ただいま』って言っちゃいそうになるくらいで……」
「はぁ?何じゃそら?」
「ご、ごめん」
少し呆れたような声が聞こえて思わず小さく謝った。
すると文次郎君は私の手拭いを取り上げてしまった。目の前には文次郎君の顔があるが、彼はぐっと上がって凛々しい眉を今ばかりは八の字に下げて、反対にいつも下げている口角は上げて、とても優しい表情をしていた。
「つまらん事で泣くな。居候だろうが何だろうが、今のお前のいるべき場所はここだ。堂々とただいまと言え」
文次郎君の優しい顔と言葉にまた涙が込み上げて視界が歪む。
「うゔっ…ただいま…!!」
「うおッ!?」
思わず抱き付いた。身体が硬直していたが、次第に緊張は解けてゆき、そっと抱き締め返してくれた。
「……おかえり、A」
「うわああぁぁん、もう戻って来れないかもって、三回くらい思ったの!でも戻ってこれたぁあただいまぁ!!」
「おまっ、人通りは少ないとは言え外なんだから大声で注目集めるなバカタレッ!」
「そうだよなぁ。三禁文次郎君にはいささか刺激が強過ぎるもんなぁ。どれ、俺が代わってやろう」
いつの間に側に来たのか、留三郎がこちらに両腕を広げて微笑む。
「留三郎ぉぉ!!」
留三郎の方へ腕を伸ばすが、文次郎君は相手が留三郎だからか、変な対抗心を燃やして私を手放さない。
「はぁ!?俺より耐性のない鼻血噴出野郎が何言ってんだか?」
「俺は人より血の気が多いだけだっつうの!!全身の血流が盛んなんだよ!身体の衰えた中年もんじには理解出来んかもしれんがなぁ!?」
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作者名:玉虫厨子 | 作成日時:2023年10月11日 16時