第132話 ページ40
──それは、唐突に現れた。
虎を囲う霊力を吸い付くし、そのあまりの量と濃度に乱れる呼吸を整えていた時だ。
…虎の背後に、見覚えのない袴姿の男が一人立っている。
「ッ…!?」
突然の出来事に喉を鳴らし、いつから存在したかわからない男に瞠目する。
やがて男は感情の抜け落ちた黒い瞳で僕を捉えると、右腕をゆっくり地面と平行になるまであげ、己の真横を真っ直ぐに指し示した。
その指が示す方に導かれるように視線を動かすと、暗闇に何かが光った気がして、ふらふらとそちらに歩み寄る。
まるで自分の体じゃないみたいに、勝手に動く足を制御出来ず、示されたところで立ち止まった。
その足元には、美しい蒔絵に彩られた漆塗りの細長い箱が、ぽつんと無造作に佇んでいる。
僕はどうしてもそれを開けなければならない気がして、咄嗟に床に膝をつき、箱に手をかけた。
しかし、鍵がかかっている訳でもないのに、それは一向に開かない。
──その時、耳元で低い男の声が木霊した。
「"まだ足りない"」
内臓を引きずり出すような、強い憎しみに塗れた声が背筋を撫で上げ、咄嗟に背後を振り向いて腕を振るった。
「うわああああッ!!」
「いっ…！おい、どうした！しっかりしろ！」
「──っは、はぁ…はぁ…は……
……え…？長義…？」
腕を叩き付けた相手は、見知らぬ男なんかではなく、焦ったように僕の肩に掴みかかる長義だった。
その背後では、国広と五虎退が緊迫した様子で刀を構えている。
そこでようやく…僕は、何かに意識を奪われていたのだと自覚した。
同時に、地下室での異変を察知したのか、梯子の上から三日月の声が響き渡る。
「長義！何があった、雛は無事か!?」
「あ、だ、大丈夫!!大丈夫だから来ないで！」
今にも飛び降りてきそうな三日月を制し、今しがた起こったことを脳裏で反芻した。
どっと吹き出た脂汗を拭い、息を整える。
そして、震える手で長義の袖を掴み、正気に戻ったことを示すためその青い瞳を真っ直ぐに見返した。
「ねぇ、長義…今、僕、どうなってた？」
「…虎を霊力の檻から解放した途端、何かをブツブツ呟きながら、何もいない空間をじっと見つめていたよ。
声をかけても反応がなく、動いたと思ったら、覚束無い足取りで明かりの届かない暗闇に向かい出して…
かと思えば突然座り込んだから、心配になって近づいて肩を叩いた瞬間、思い切り弾かれたかな」
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作者名：寒蘭 | 作成日時：2023年11月14日 17時
