チケット ページ8
掃除機の機械の音が周りの音を遮断してくれて、自分だけの世界に浸った。騒音で何も聞こえない。ただ1人でこれからのことを考えながら掃除機をかけた。ずっと忙しくて埃が溜まっていた部屋に清潔さが戻ってきた。
ピコン、とメッセージが届いた。基裕の家で一夜を過ごしてから1週間が経った。まだ心の傷は癒えないけれど、ようやく人と関わる勇気が出てきた。
メッセージは基裕からだった。
『良かったら舞台観においで』
添付されていたのは『ミュージカル刀剣乱舞〜葵咲本紀〜』と記された、舞台のメインビジュアルの画像。
司咲も名前だけは知っている。名だたる刀剣の擬人化育成ゲームの舞台版だとか。
『司咲さえ良ければチケット取っておくから』
少しだけ逡巡したが、そういえば役者としての基裕を見たことがないな、と思い直して行く、と返事をした。一度くらいは見ておきたい。基裕の役者としての顔を。彼がどのように仕事に向き合っているのかを。
司咲よりも歳上の彼だから、思いもよらないことを文字通り体を張って教えてくれるかもしれない。
『OK!日にちはまた連絡するね』
『うん、お願い』
バイトを探すか、もう一度正社員を探すか。それが今の一番の悩みだった。
苦しんで、悲しんで、それでも我慢して耐えていたのに、結局限界が来て辞めてしまった。それなのにまた正社員に戻る選択肢があるのは司咲なりに“普通”に働きたいと思うだけなのだ。
いつか、人ならざるものを見てしまう司咲を温かく迎えてくれる場所があるのではないか、と期待してしまうのだ。その度に司咲の期待はまるで紙切れの如く破り捨てられてしまうのだが。その度に深く深く傷ついて基裕に心配ばかりかけてしまう。
いつか、基裕以外の誰かとも出かけたり、一緒に笑い合ったりしてみたい。それは司咲にとっては遠い夢。もしかしたら永遠に来ないかもしれない理想。
人は人ならざるものを見る司咲を奇異の眼差しで見て、忌み嫌うのだ。司咲はただ生きているだけ。人一倍悪意に敏感で、だからどこにいても馴染めずに悲しみ、苦しみながら生きるだけ。
天井を見上げて、司咲は息を呑んだ。そこにあった顔が笑みを浮かべていた。冷や汗が背中を伝った。
逃げなきゃ。
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作者名:星ノ宮昴 | 作成日時:2021年6月29日 15時