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「こちらにおいで。」

 あの時のように優しい声で自分を呼ぶ。

今まで自分を呼んできたものとは何かが違う。
甘ったるいあの声とは違う。

 導かれるように近づくと、相手は再度腰を落ち着け、隣に座るように促す。彼は黙って指示に従った。
 冷たい手が額に触れる。

「まだ熱っぽいね。」


ああ。


 雪は慈愛に満ちたその顔に、ある光景が頭を過った。


妹が風邪をひいたとき、母さんがこんな顔をしていた気がする。


 自分はそれを横目で眺めていた。
 それは彼が中学生の頃のことだった。


「雪君?大丈夫かい?」


 心配そうな声に我に返ると同時に自分の使命を思い出す。刻み込まれた存在意義を。


「あ、の…。」

 相手が少し目を見開く。

「俺、もどらなきゃ…。」


あの場所に。


 そういえばお金も置き去りにしてきたことを思い出し彼は焦った。早く行かなければ風で飛ばされてしまう、もしくは雨で濡れて使い物にならなくなるだろう。今までの苦労が水の泡となる。


「だめだよ。まだ雨が降っている。それに、医者として、完治していない病人を外に出すわけにはいかない。」


 何度目かの真剣な顔に彼はぐっと唾をのむ。
 それでも彼は引き下がらない。

「おねがいします…。」

 相手の顔をじっと見つめるが、決して首を縦に振らない。
 それでも彼は引き下がらない。彼の全てがあの薄汚れた袋にかかっているからだ。

「おねがいします、おねがいします……どうか__」

 彼は相手の服の裾を掴み、そして気づく。


自分の服じゃない。


 先程まで着ていた服ではない。サイズも明らかに大きい。
 ひどく今更だが、そんな些細なことで彼は自らも驚くほど動揺した。
 ここまで自分を運んできて、着替えさせて、寝かせてくれたことに今更気づいた。

 薄紫色の髪と蒼玉の瞳。

 他の人とは違う手つきに、自分を映す双眸。


どうして。


わからない。



どうして?



…わからない。





__どうして、この人は自分になにもしないんだろう?



痛いことも


気持ち悪いこともしない。



お金を払わないから?



なのに、俺に優しくする。


みんな無視していくのに。


それが普通なのに。






戻らなきゃいけないのに


どうして







どうして、このばしょから、このひとから、はなれたくないとおもっている??








 それが、彼が初めて自らを含む「人」に対して疑問を抱いた瞬間だった。

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Last(プロフ) - カナリアさん» ありがとうございます。僕自身も今作の主人公はお気に入りです。これからも堪能していただければと思います。 (2018年12月28日 12時) (レス) id: ec5508f4a5 (このIDを非表示/違反報告)
カナリア(プロフ) - 主人公くんが可哀想で可愛くて個人的にダイレクトでした…… (2018年12月27日 22時) (レス) id: 90bd7d6cd5 (このIDを非表示/違反報告)

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作者名:Last | 作成日時:2018年11月24日 20時

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