＊ ページ25
たくさんの人の前で歌うことは未だに慣れない。
そして今日は、特に緊張してしまっている。
チラリとあの子を見た。
真剣な目は俺に向けられている。
そうだ、どうかそのままでいてくれ。
俺のことだけを見て。今だけ君の心を俺にちょうだい。
スゥっと息を吐いた。
頭には、昔あの子から聞いた言葉が流れている。
『でも本当に大好きな歌なの。坂田に聴いてほしい』
聞いたことのないタイトルだった。
いつか聴こう、そう思ってやっと聴いたのはあの子が事故に遭いお見舞いに行った日の夜だった。
事故に遭った、と聞いたときは焦った。けれど俺が聞いたときはもう意識もしっかりとある状態で、安心してしまっていた。
俺が突然お見舞い行ったらどんな反応するだろう。
驚くかな、いやきっと嬉しそうに笑ってくれる。
そんな思いは一瞬で消えてしまった。
『……坂田くん、だよね？』
嘘だろ、と思った。なんで、と思った。
信じられなかった。やっと、やっと恋が実ったのに。
やっと君を俺のものにできたのに。
そこからどうやって家に帰ったのかはよく覚えていない。
覚えているのは、部屋であの子が好きだと言っていた歌を聴いた時だった。
『っ、あぁっ………』
涙が、止まらなかった。
何回も、何回も聴いた。ボーカルの音程だけではなく後ろのリズムまで全て正確に把握するほどには聴いた。
それは、恋の歌だった。
愛が溢れて止まらないような、ラブソングだった。
後ろの仲間が奏でる音に目を瞑った。
全身に音を感じる。思いがすべて、感じる。
歌声は自然に音に乗った。
俺はあとは思いを込めるだけだ。
あの時言えなかった言葉を。もっと言えばよかったと後で後悔した言葉を。
大好きでやまない彼女に。
届け。響け。どうかこの歌よ。
彼女の中で蓋で抑えられた記憶を、引き戻せ。
君の心を俺で溢れて止まらないように。
耳がよく聞こえるのなら君にしか聞こえない言葉を放とうか。
間奏の間に、マイクも通さずに呟く。
「好きだよ、A」
あの日、笑った君も。泣いた君も。
全部俺の中には残っているんだ。
思い出を俺に独り占めさせないでよ。
もう溢れそうなんだ。
君と、思い出を分け合いたいんだ。だから、どうか。
この歌が俺の言葉となり、心となり、届け。
「ありがとうございました！」
肩で息をしながら、歌の最中怖くて見てられなかった彼女を見る。
…………心臓が、止まってしまいそうだった。
「さか、た」
そう口が動いて、そして＿＿＿＿＿笑った。
(君と奏でる音楽は、)
(まだ終わっていない)
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ほさと - とても感動しました。占ツクの歌い手様を扱った作品には珍しくしっかりと小説になっていて、一介の読書好きとしても嬉しかったです。どの作品もとても美しい比喩があり、音読したい作品だなぁと思いました。 (2019年7月14日 20時) (
レス) id: fdc2472f82 (このIDを非表示/違反報告)
弓乃 - 皆様の素晴らしい文章に心が震えました。ありがとうございます。執筆お疲れ様でした。これからも頑張って下さい。 (2019年6月17日 16時) (レス) id: d99258de7b (このIDを非表示/違反報告)
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