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経験者には分かる ページ49









「 ……私、なんであんなに泣いてたんでしょうか 」
「 それはこっちの台詞なんだけど 」







 家に上がってココアを飲んだら大分冷静になれたのか、悟りを開いたような表情で彼女は虚空を見つめ始める。
 本人的にも恥ずかしいことをした自覚はあるんだろうな。いっそ酒でも摂取して記憶全部飛ばせたらとか考えてるんじゃないか?


 俺にも正直それと同じような経験はある。普段感情を押し込めてる人間だからか、ふとした拍子に全部溢れ出す時があるのだ。彼女のもそれに近いなにかなんじゃないだろうか。多分。







「 ……で、伊沢となにがあったの 」
「 なんで社長だと断言するんですか 」
「 君が取り乱すことなんて伊沢のことくらいだろ 」







 彼女が取り乱した瞬間を、俺は前に一度だけ目にしたことがある。伊沢がオフィスでぶっ倒れた時だ。
 意識が朦朧としている伊沢に「 聞こえますか! 」と必死に声をかける彼女は、本当に無意識だったのだろう。福良たちが駆けつけてきた後の彼女は、まさに脱け殻のようだった。


 その姿が、見ていられなかった。
 こんなにも心配かけるやつより、俺の方が幸せにするのにって。
 馬鹿みたいな自信が湧いてきちゃったんだよな。







「 ……キスされてたんですよね、社長 」
「 ……ん? 」
「 キス、されてたんですよ、社長 」
「 ごめん。これに関しては俺の想像力が足りない 」







 伊沢とキスって、一番合わない組み合わせだろ。12年間も男子校だった奴がなにがどうしてキスをする羽目になるんだ。想像がつかない。ていうか、同僚のそういうことなんて想像したくもない。







「 ははっ、私も信じられないですよ。社長ってあんなにモテるんですね 」







 乾いた笑い。取り繕うようにして浮かべられた笑顔はぎこちなくて、酷く、苦しそうだ。
 分かるよ、その気持ち。自分を落ち着かせるためにはまず、自分を取り繕わないと駄目なんだよな。不器用な俺達はそうやって自分まで偽って、結局自分を見失って、する必要もない遠回りをしてしまう。


 でも俺は、君にそんな思いはさせたくない。







「 誤魔化しても良いことないよ 」
「 え……? 」
「 辛いんだろ。俺にすがり付かなきゃいけないほど 」







 多分俺が君に惹かれたのは、君が自分に似ていると思ったからだ。
 なら行くべき道はそっちじゃないよ。そっちは遠回りだから。








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作者名:朝田 | 作成日時:2020年12月3日 19時

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