恋の訪れと一本の傘 ページ37
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「 え、でもそれじゃあ貴方の方が 」
「 大丈夫です。私、今日二本持ってきちゃったので 」
その時の笑顔が、あまりにも綺麗だったから。普段は警戒して遠慮する俺も、思わず彼女から傘を受け取ってしまっていた。
次にお礼を言おうと顔を上げたときには、女性の姿は既に店内へと消えていた。
薄暗い世界に、店内からの灯りが漏れる。
うっすらと俺の姿が反射している窓からはあの女性も見ることが出来て、自然と視線が彼女の影を追っていた。
名前も知らない女性。
彼女についての質問でテレビに出ている女優やモデルみたいに可愛いかと聞かれれば、多分頷くことは出来ない。
なのに俺は、テレビで共演した女優さん達よりも、雑誌の表紙を飾るモデルよりも、あの名前も知らない女性にとても惹かれていた。
「 ……あれ、もしかして俺 」
あの一瞬で惚れた……?
あり得ない仮説を自問するが、否定しようにも、否定できる要素は全く揃っていなかった。
ということは少なくとも、可能性はゼロではないというわけで。
雨に打たれた体は酷く冷えきっている筈なのに、心臓部分から末端に広がるようにして焼けるような熱さが広がっていく。
こんな感覚は初めてだ。学生時代、想いを伝えられずに恋い焦がれていた時と同じような、でも似て非なる感覚。
「 ? 」
一枚の窓を隔てて、またあの女性と視線が交わった。
彼女は不思議そうに首を傾げていたが、やがてぎこちなく片手を上げると、はにかむようにしてこちらに手を振ってくる。
一つ一つの動作から読み取れる、こなれていない不器用な様子。
左右に小さく振られる片手と一緒に、胸元で揺れる名札。
そこには大きく『 雫石 』と刻まれてた。
朧気だが、確かにどこかで、名前すらも尊いと思い始めたら末期だという一文を目にしたことがある。
今がまさにそれだった。
え待って、雫石ってなに?なにそれ可愛くない?苗字からもう可愛くない?反則じゃんそんなの。
「 ……なんか俺変態みたいだな 」
急に頭が冷静になって、我に返る。
そろそろ帰ろう。このままここに居たら余計に頭の可笑しい奴になってしまいそうだ。
最後に雫石さんに向けて一礼して、折り畳み傘の下、大雨の中に飛び込む。
雨は正直あまり好きじゃない。だって色々と不便だから。
でも。
たまにはこんな日も、悪くない。
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作者名:朝田 | 作成日時:2020年12月3日 19時