6.私たちが始まる日 ページ12
彼女の反応を待たずに黙って踵を返した。
いわゆる言い逃げだ。
彼女はどんな顔をしていたんだろうか。
しかしあれ以上一緒にいれば、もう手放す自信がなかった。
名残惜しくて、離れ難くて、それでもあの時ならまだ間に合った。
自分の理性を褒めてやりたい。
明日から寒くないように、たくさん着物を着こもうか。
いつもは深くまで下げている編笠を脱ぎ、空を見上げながら帰った。
・
明くる日、もういないとわかっていながらも、俺の足はいつもの河原に向いていた。
彼女のいない河原を見てみたかった。
そんな俺の心をよそに、
___彼女はいた。
清々しくすっきりした顔をして、大の字になってゴロリと寝転がっていた。
少し背中を丸めて座る彼女はもういない。
「…A!?なぜここに…!?」
「こんにちは、桂さん。」
「ああこんにちは…ではなく!…なぜここに。」
クスクスとおかしそうに笑うAからはもう、悲哀など感じられない。
「桂さん、やっぱり私たち結婚しましょう。」
「は…。」
「だって桂さん、私とお別れしたのに、ここに来ちゃったんでしょう?…私のこと、好きなんでしょう。」
「いや、それは…。」
俺を見透かしたように笑うAは、なんだか楽しそうだ。
「素直になってください。もうバレているんですよ。…大体、好きでもない女にあそこまでしてくれるわけありません。私実はあんまり鈍くないですから。」
否定することは簡単だ。
でも彼女の目にあまりに期待が込められているものだから、嘘がつけない。
「…っああ、もう!認める!認めてやる!しかしだな!」
「俺は攘夷志士だから婚姻は結べない…とか?」
「なぜそれを!知っていたのか!?」
好きだのなんだの、思春期のような響きにガンガンと心を揺さぶられる。
しかも知らないと思っていた事実をピタリと言い当てられ、動揺する。
「桂と名乗っておいてそれはないでしょう。ロン毛の桂なんて一人しかいませんよ。…逃げの小太郎なら、私の前から突然いなくなることもないでしょうし。」
何も言えぬ俺を真っ直ぐ見据え、Aは口を開いた。
「私と結婚してください、桂さん。事実婚で構いません。何の義務も果たしてくれなくてもいいです。ただ私と一緒にいてください。…お願いします。」
あれだけ調子良く言っていたくせに、最後はなぜかしおらしい。
少し自信がないのか、不安なのか。
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作者名:たいる | 作成日時:2022年1月25日 15時