16話 ページ16
板張りの長い廊下は塵一つなく、まるで硝子のように完璧に磨き上げられている。
屋敷の中心には坪庭があって、色鮮やかな錦鯉が泳いでいた。
「お一人で住まわれているのでしょうか。」
「記憶の限りじゃ数年前まで付き人がいたが、最近はめっきりだな。」
長い廊下の突き当たりを右に曲がると、他の部屋とは様子の異なる戸が現れる。
その書院の入口は二重になっていて、格子戸を引き、さらに奥のふすまがあった。
菊、邪魔してるぞ、とアーサーさんは部屋の中へ声を掛け、ふすまを引くと、明るい光が部屋から漏れ出し、少し眩しく感じられた。
「おや、もうそんな時間でしたか。」
菊、と呼ばれた屋敷の主人の声が聞こえるが、その風貌はアーサーさんの背によって隠されている。
男性の、優しい声であった。
耳触りの良い、低い声であった。
「それで、刺繍の先生というのは。」
「ああ、紹介する。俺が訪問した学校の学生なんだ。」
”刺繍の先生”だなんて滅相もない、と思いきり否定したいのを堪え、アーサーさんに促されるがまま屋敷の主人に挨拶をしようと一歩前へと出る。
その方の表情を一目確認しようと、視線を向けると、ふと、頭の片隅で消えかかっていた記憶がざわざわと音を立てて蘇る。
あの春の日に桜の下でお会いした、美しい人。
本田さんだ、と確信に変わるまで時間はかからなかった。
「桜東院Aと申します。本日はお招きいただきありがとうございます。」
ゆっくりと顔を上げると、本田さんはあの日と変わらぬ柔らかな表情で、こんにちは、と私に言葉を返した。
この部屋に差し込む陽光が、彼の存在を際立たせている。
「随分と可愛らしい刺繍の先生ですね。何もないところですが、隣の部屋を使えるようにしてあります。ゆっくりして行ってくださいね。」
本田さんは柔らかな表情を崩さぬままに、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
上流階級の者であればあるほど、その表情管理は徹底されていて、本田さんの感情が表情から読み取れないのはその所為だろう。
過去にお会いしたことは、本田さんが触れてこない以上、余計なことを言うべきではないと、私はアーサーさんの後ろへと引き下がった。
「アーサーさんは少し私のお手伝いを。」
アーサーさんは頷くと、私は先に隣の部屋へ移動するように言い、それでは、とこの部屋を退出した。
部屋の格子戸の前にはハチワレの黒い猫が座っていて、あの日のことを思い出すようにAは猫の頭を優しく撫でてやった。
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りつ - とっても素敵な作品で沼りました！続き待ってます！ (2022年11月20日 18時) (
レス) id: 2356714097 (このIDを非表示/違反報告)
珠緒(プロフ) - ゆずきさん» 応援ありがとうございます！お褒めいただきとっても嬉しいです😭 (2022年2月22日 7時) (レス) id: 530dc5b1e4 (このIDを非表示/違反報告)
ゆずき - 表現とか、語り口や人物の喋り方が違和感なく美しくて凄いですね、、！応援してます😊 (2022年2月21日 20時) (レス) @page3 id: 7fcb5497e4 (このIDを非表示/違反報告)
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作者名：珠緒 | 作成日時：2022年2月17日 19時
