彫金細工師 壱 ページ3
数刻前のことである。
「案件はもう通ったはずですが？羅漢どの」
壬氏は珍しく顔を顰めて言う。
「いやいや」
羅漢と呼ばれた相手は玻璃の盃に注がれた葡萄酒を飲み、長椅子に片足を立てて言った。
「冬に花見は難しいですからな。ならば人中の花でも愛でようかと」
無駄話でこちらの仕事を邪魔したいだけのくせに、そう壬氏は頭が痛くなるがあまり下手な口は叩けない。
「そういえば緑青館から身請けした妓女はお元気ですかな？」
「...身請け、というか。雇用契約の給金前払いの代わりに買い取ったにすぎません」
実際払った金はそんなものではないのだが、そこまで言う必要はなかろう。
「そうなのですか？軍部ではもっぱらそのような噂になっておりますが」
笑いながら羅漢は言う。
そう吹聴したのは自分だろ、と言いたくなるのを堪える。
「私も前に緑青館に馴染みがいましてね」
壬氏の筆がぴたりと止まる。
「いい妓女でしたよ。
ちょっと変わり者でしたが頭が良くてね。
碁や将棋が得意で、芸は売っても身体は売らず。客と接するにもまるで下賤の輩に施しをやるような尊大さで。
しかしそれがまた妙に癖になるものでして」
高順の視線が壬氏の方へ向く。
気づかないふりをする壬氏。
羅漢の話は続く。
「いつか押し倒して我が物にしたい、そう思っていたものですよ。
しかし物好きはいるもので、他の連中が値を吊り上げまして。
おいそれと手が出せなくなってしまった、だから、
少々汚い手も使ったのですが、ねぇ」
嫌な笑いを口元にのせながら、羅漢は言う。
犬歯がギラリと光る。
「希少価値を下げたんですよ。どうやったか、知りたいですか？」
「ここまできて勿体ぶるのですか」
壬氏は真顔で言う。
「まあ、その前に一つ。
最近、そちらに入った下女がなかなか面白いようで。
謎解きが得意なそうですな」
「___ある彫金細工師が突然亡くなった。彼は実子三人を弟子にしていたが、その遺言を誰も理解できないという」
いつもの執務室で、Aは壬氏の話を聞いていた。
「その職人は秘伝を後継者に伝えると言っていたそうだが、結局三人のうち誰を後継者にするか決めないまま亡くなってしまった。
三人にはそれぞれ形見の品と謎の遺言だけが残されたと言うわけだ。
その遺言はたった一言、
"皆、昔のように茶会でもするといい"」
Aはその謎を解くために、馬閃と共に目の前の大きな屋敷に呼ばれたわけであった。
この小説をお気に入り追加 (しおり)
登録すれば後で更新された順に見れます 169人がお気に入り
お気に入り作者に追加
違反報告 - ルール違反の作品はココから報告
作品は全て携帯でも見れます
同じような小説を簡単に作れます → 作成
この小説のブログパーツ
作者名：泉 | 作成日時：2024年2月2日 10時
