莫迦 壱 ページ14
誰？
私に覆い被さる女がいる。
鼻が削げて、肌のいたるところにできものと落ち窪みがある。
濁った紫色の目で、私を見ている不気味な女。
女は私の手を掴む。
何、私に、何を______
は、とそこで目が覚めた。
「夢...」
そっか、帰ってきてたんだった。
Aは嫌な汗を拭った。
「おはようA、今日はどうするんだい？」
いつも通り穏やかな表情のおやじどのが聞く。
「そうね、用があってきたわけじゃないし、夕方には宮廷に戻るつもり」
「だったら緑青館に薬を届けてくれないか」
Aの、朝餉用の大根を切る手がぴたりと止まる。
形の綺麗な唇が、きゅっ、と結ばれる。
「A。たまには顔を、見せておやり」
穏やかな顔で言うおやじどのに、Aはうつむいた。
「おはよう、右叫」
「やあA、今日は頭巾なのか。どうした？」
緑青館の雑用係、右叫はAの幼い頃を知る数少ない男性の一人である。
当然素顔も知っているが、Aの人柄を良くも悪くもわかっているので、他の男衆とは違いAに幻想を抱いたりはしていない。
「薬を届けに」
「あ、ああ...」
何やらただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、右叫は心配そうにAを見送った。
「入るわよ」
すぅ、すぅ、と寝息が聞こえる。
ここは緑青館の病人部屋。緑青館は老舗で他の店よりも余裕があるので、病気になり使えなくなった妓女でも置いてもらえる。
元々級の高い妓女であったならば、一部屋与えられたりもする。
この女のように。
Aは深く被っていた頭巾を脱いだ。
透き通った、綺麗な紫の双眸が女の姿を捉える。
「薬、持ってきたわ」
Aは寝台の近くの椅子に腰掛けた。
直る見込みがあるのかと聞いたAに、おやじどのは言った。
お前だから回りくどいことは言わない、これは気休めだ、と。
もう少し早く、症状が出てすぐに相談してくれていれば、まだ手の打ちようもあったけれど、処置が遅れるほど難しくなる。
梅毒ってやつは、誇り高い女ほど、自らの病を隠そうとしてしまうのか、と。
「莫迦ね.....」
Aはぽつりと呟いた。
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作者名：泉 | 作成日時：2024年2月2日 10時
