傾国のひとりごと参 (ページ30)

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狐　壱ページ30

壬氏の私室の掃除を終えて遅い食事を終えると、次は執務室の掃除だ。

お偉いさんの前で雑巾をかけるわけにもいかない。その点は気をつけねばならないのが大変だ。
なので、壬氏が後宮や他の官のところに行っているときを狙って掃除をすることが多い。それ以外の時間は、雑用や散策で時間を潰している。

(今日は何をしようかな、西側は大体網羅したわよね)

　Aの頭の中で地図が広がる。
できれば、東側を回りたかったが、なんとなくためらう。東側には軍部があるのだが、そこで下女がこそこそと草むしりをするのはどうであろうか。
密偵と間違われて拘束されやしないか、と考える。

(それに、軍部といえば……)

　Aは思わず顔の筋肉がすべてひきつった表情を浮かべてしまった。
それだけ嫌な理由があるのだ。
　腕を組んで唸っていると、後頭部に衝撃を感じた。

(なに？)

　怪訝な顔で振り返ると、背の高い女官がいた。端正な顔立ちをしている。

　Aは数日前にからまれた女官たちの顔を思い出した。その中にいた一人だ。
　眉をきっちり描いているのが特徴だ。紅を線のように細く引いている。

(もったいないな)

　骨格も素材も上等の一品だが、化粧で垢抜けないものになっている。
もし、眉をもっと薄く柔らかくして、唇に淡い紅をたっぷり引いたら逸品になるだろう。

小汚い小娘が夜の蝶となる姿と、天女が鶏がらになる姿の両方を、とくに後者は毎日見続けてきたAの審美眼だからこそそれを見ぬける。

(けっこうな狐？この女)

　女官は下女に話しかける口もない、と言わんばかりに通り過ぎていく。
こんなところで油を売るな、という意思表示だろうか。
すれ違う際、かすかに白檀と、何か苦いものが混ざったような香りがした。

　Aはぽかんとして、女官の背中を見た。そして、彼女がやってきた方向を見る。

(武官のお付なのかな)

　女官は軍部の門のほうからやってきていた。
たしかに、軍部に出入りするなら、地味な化粧のほうが賢明である。
花街の路地裏ほどでないにしろ、血気盛んな武官の周りに美女が歩き回るのは避けたほうがいい。

　Aは回れ右をすると、壬氏の執務室へと戻ることにした。早く執務室の主人がお出かけしていればいいと思った。